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「あの、今...私は"日本人"なんでしょうか?」「はい、今この瞬間から"日本人"です」-在日コリアン4世の私が日本国籍を取得した日-

2019年11月8日。正午過ぎ。

私は月に2回くらいはお世話になっている長野駅前のスターバックスにて連載の原稿を書いていた。スマホが震えたので画面を確認する。《長野地方法務局》の文字。

私『...はい。』

法務局の職員さん『〇〇さまのお電話でしょうか?』

どうやら今年の2月22日に正式申請していた、帰化の手続きが全て終わり、正式に日本国籍を取得するに至ったらしい...!

(遂にこの日が来たかー!!!!)

喜んでいるけどなんとも言えない不思議な感覚に包まれた。

いろいろ書類を受け取りに行ったりしなくてはならず、まだこの先も市役所にいったり手続きがあるらしいことが分かった。ひとまず来週に長野地方法務局に行くお約束をした。

ふと、じゃあ今私韓国人と日本人どっちなの

っていう疑問がわいて

法務局の職員さんに

『あの、今...私は"日本人"なんでしょうか?』

って聞いてみた。

『はい、今この瞬間から"日本人"です』

とのこと。


(そっか、私、今..."日本人"なんだ...)

そう思った。そう思うと同時に、私は今、とても本質的な質問をして、その答えを頂いたような気がし、なんとも不思議な気持ちになったのだ。

一生のうちで何人の人が「私って今〇〇人なんですか?」っていう質問を投げかけるのであろうか?人に、自分に。

気がついた。

今、自分、めっちゃ貴重な体験してる....!!!!!って。


そもそもなぜ日本国籍を取得しようかと思ったかというと、一番の動機は「息子を自分と同じ苗字にしたい」であった。

私には2人目の元夫(日本人)との間に子供がいる。

離婚後、親権は母親であり養育者である私であったが、私が日本国籍でなく"日本に戸籍がない"という理由で息子に私の苗字を与えることができない...!なので離婚後も息子は元夫の籍に入っている状態で、その姓を名乗り、しかしながら親権や養育は私にある、というちょっとちぐはぐな現象が起きたのだ。(その立場になってみないと分からないことだらけですよねほんとに)

もちろん、私の韓国の戸籍に息子をうつして息子を「在日韓国人」とし、旅行するときも韓国のパスポートを持たせるという方法も取れた。

だが、全然それじゃ現実的じゃない...。

彼は現在3歳だが、彼の母語はもうすっかり日本語である。そして今後もコアとなる生活拠点は日本であるがため、まあさまざまな意見はあるけれどストレートに彼には"日本人"でいてもらう方があまりにも自然である。

「だったら私が日本に戸籍持つしかないじゃんよ...!」

っていうのが、私の帰化申請の事の発端である。ちなみに帰化申請の書類集めには時間がかかり、仕事しながらで私もダラダラやっていたので2018年の5月くらいから集めだして、2019年の2月22日に正式申請(法務局に提出)、そして同年2019年11月8日に法務局から今回のお電話を頂いたということの次第でございます。ざっくり1年半かかったこのプロジェクトは。

長かったような、短かったような。


母親と父親は最後まで特に日本国籍取得に賛成はしていなかったけれど、昔みたいに反対はしていなかった。

これ在日家庭あるあるだと思うのですが、「日本国籍取得する」ってただ単に本人単独だけの問題じゃなくて家族の希望とか、コミュニティの結びつきが深ければ深いほど感情面でもいろいろ考えるところあって複雑なんですよね。そして在日の状況にも何パターンかあり、日本で生まれて日本の教育しか受けてないパターン、日本生まれだけど日本の学校行ってないパターン、アイデンティティに誇りを持っているパターン、持っていないパターンとかさまざまあり、一口に"在日"だからって解り合える訳でもないです。

「韓国籍のままだと〇〇くん(息子の名前)と同じ苗字になれなくて、今後何かと不便だから」

っていう"日本に暮らしながら日本でビジネスもしながら、日本で子育てもしながら外国籍であるがゆえの不便さ"というロジカルな主張で通した。

最終的には

「そうだねえ、〇〇くんもママと苗字が違うとなにかとねえ...」

ってことで納得してくれた。

(昔の何が何でも韓国籍でいて!みたいなやつどこいった!?孫の力偉大すぎいいいい!笑笑)

って一人心の中でツッコミはしていたが、全てはいい方向にまとまったなと思っている。


私の中で、私の人生の中で"大きな問題"が解決した。長年のモヤモヤが解消されたような気がして、とても嬉しかった。

それと同時に、解決してしまった。そうも思った。

その夜、私は実家に向かい、その食卓で両親に

「今日、日本国籍取れたって」

と、至極さらっと報告した。「今日、温泉行ってきたよ」っていうのと同じようなテンションで。

両親は「そっか...」というだけでそれ以上何も触れなかった。

(うっそ、それだけーーーーー!!???)と内心思いはしたが、逆に楽だった。そして普段と何も変わらない食卓。私達は何も変わっていない。

それから今のパートナーと息子と暮らしている家に帰った。

机の上にケーキと花束があった。

パートナーさんが用意してくれたのだ。彼のこの心遣いは「日本国籍取得おめでとう!」っていう単純なことだけではなくて「32年間抱えていたある種の悩みの解決おめでとう!節目おめでたい!新たなスタートおめでとう」の意である。

ほんまうれしかったです。(この時期はバチェラーシーズン3でうちは沸いておりました)

そして泣きました。

「私の中の何かがなくなっちゃった...」って。気がついたらそう言って、泣いてました。

でも悲しいわけじゃないんです。

なんだろう、一回も味わったことがない感覚に陥ったんですよね、この日。2019年11月8日。


*とりとめもない、人にお見せするような文章になってないんですが笑。備忘録として残して置きたいなと思います。好きな韓国料理はポッサムキムチ。

【追記です】2019.11.24 AM10:13

私は2007年20歳の時に自ルーツを知りたくて半年ほど韓国留学。その時に「国籍どっちでもいいけどどちらかと言うと日本国籍の方がアイデンティティに近い」とは思っていましたが、帰化の手続きが難解でお金も時間もかかること、親族が帰化の話すると難色を示すことから永らく諦めておりました。
今回帰化に至ったのは、「息子を自分と同じ苗字にしたい!」「今後先何年も『どうして親子なのに苗字違うんですか?』って聞かれる煩わしさから解放されたい」という強い動機があったからです。

自分の境遇に全く納得も折り合いもつけられないまま幼少期と10代を過ごしましたが、20代に入り始めて特に「アイビー茜」という自分のビジネスであり軸を手にしてからは自然とアイデンティティの問題は気にならなくなり、国籍がどっちとかは気にならなくなっていました。
ただ、納税や保険などは他の人とかわりなくしているけれど、選挙権がない。他行政上手続きが要所要所難解だったり項目が多かったりして、不便をたまに感じることはありました。


最終的にはすごく大きな意味で国籍なんて関係ない世界にこの先なっているといいなぁって思ってます。





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