ある魔法使いの雑文



雑文…。言葉を並べる。意味もわからずに言葉を並べる。抽象的な懐疑。名詞だけならいくらでも書き続けていくことが出来るような気がする。しかし…必要なのは動詞だ。それにしても…。断片。断片を繋ぐ糸はどこにあるというのか?記憶…。書き続ける…森の奥で…僕らは…。


抽象的な懐疑。具体的な懐疑。僕らは夢を見る。夢は魔法の源泉だ。しかし…。


森の奥…。魔法使いはそこにいる。魔法使いとは僕のことだ。


突然に現れる悪魔。全てを焼き尽くす。いや、目録に登録されている在庫全てを焼き尽くす。ではその目録は誰が作ったというのか?神か?悪魔か?幻か?それとも僕自身か?


彼女が敷いてくれた布団の上で僕は眠った…。…いや、必要なのは座標だ。事件がどこで発生したのかということを指し示してくれるような座標が必要だ。座標と地図と現在位置。僕らはそれを求めてやまないのだ。

あれはどこで起きたことなのか?それにしても文章が一向に統一した形式を獲得してくれない。まるで夢でも見ているかのようだ。自分が途方もない悪文を書いている、という意識をどうしても拭い去ることが出来ない。それはタールのように僕の心と魂にこびりついている。


断たれてしまった絆をもう1度繋ぐこと。僕はそれを望んでやまない。僕はそのことしか願っていない。つまり…僕は世界と言葉とを…。しかしどうしてもこの先を言葉にすることができない。

日本語には決定的な欠陥が存在するように思える。英語やフランス語では当たり前に表現できることが、日本語ではどうやっても、どれだけじたばたしても表現することができないのである。「~である」という言葉ほど僕を不安にさせるものは存在しない。「存在する」という動詞はついに日本語には定着しなかった。「to be or not to be」が「生きるべきか死ぬべきか」と訳される国で、一体どんな哲学が可能だというのか?



未来人よ。全ての概念、全ての物質、全ての抽象的懐疑に対応する言葉を所有している人々よ。そしてそれらの言葉の全てを、赤面することなく自由に、完璧に自由に利用することができる人々よ。あなたがたは幸福だ。あなたがたは全く幸福なのだ。


 私とてあなた方が何を言おうとしているのかということぐらいはわかっている。あなた方はこう言いたいのだろう。「我々は確かにあなたが生きていた時代よりは多くの言葉を所有している。しかし全ての概念、全ての物質に言葉を与えきることが出来たとは到底言いがたい状況なのだよ。そもそも言葉が増えるに従って、概念も物質もどんどん増えていっている。全ての概念に言葉を与えきるなどということはそもそも不可能なことなのだよ…」

 わかっている。私にはわかっているのだ。あなたは究極的にこう言いたいのだろう。「私はあなたが言うところの未来人ではない。あなたは結局のところ、「ユートピア」を未来という言葉で言い換えているに過ぎないのだ」


 わかっている。しかしそれでもあなたは私にとっては未来人なのである。

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