2012年12月3日の日記


 これは日記だ。だから今日1日のことについて書く。といってもまだ午前8時半だし、私が目を覚ましてから1時間半しかたっていない。だからその1時間半のことについて書く。

 昨日はなかなか寝付くことができなかった。そういうこともあるのだ。昨日昼寝してしまったということもある。深夜1時までパソコンをしていたということも理由の一つではあろう。理由はあげればきりがない。重要なのはとにもかくにもうまく寝付くことができなかったということである。それだけだ。寝入るまでなにやら数学のことについて考えていたことをぼんやりとだけれど覚えている。

 7時ごろに起きた。なかなか寝付くことができなかったことを考えればこれは早起きの分類にいれることが十分可能であるように思う。今日はくもりで、窓から朝日の光が差し込んでくるということはなかった。あれはとても気持ちのいいものなのだけれど。

 朝食を食べる。その前に少しだけ新聞を読む。昨日の笹子トンネル崩落事故についての記事が1面にのっている。中央自動車道を走っていて、わけもわからず巨人が地団太をふんだかと思うような震動の果てに1トンの鉄板に行き先も戻り道もふさがれてしまった人々のことを考える。それは一体どれほどの恐怖なのだろう。彼らは暗闇の中で一体何を考えたのだろう。

 私はコーヒーに砂糖を入れて飲む。少し砂糖をいれすぎたのでコーヒーの味がくずれてしまった。台無しになってしまった朝の栄光の時間を思い、私は憂鬱な気持ちになる。今度コーヒーを飲むことができるようになるのは24時間後であるというのに!24時間という時間は、私には一つの共和制国家が誕生し、そしてその国が遊牧人の帝国にほろぼされてしまうのに十分なほど長いように思える。

 曇りではあるけれど雨は降っていない。こういう天気は時に人を憂鬱にさせる。完全な牢獄というものはむしろ人を興奮させる。外界からの隔絶は、時として人間の内部の広大な世界への道を開くからだ。しかしこういう外界への道が完全には閉ざされていない状態というのは、人の気持ちをざわつかせる。出て行くこともとどまることも正解のようには思えない。ただ烏の声だけが悩める人々をあざわらうかのようにこだまする。ただそれだけである。


 神話にはよく男女神というものが登場する。性別のはっきりしない、あいまいな存在。時として彼あるいは彼女は自分の存在について葛藤する。葛藤しない彼らもいる。神なのだからそれはそれでいいだろう。しかし問題なのは実際の人間にも男なのか女なのかわからない存在はいるということだ。彼らのほとんどはおそらく自分の存在について葛藤することであろう。あいまいなものをどう対処すればいいのかわからずに。そういう彼らがいつも抱えている「気分」と似たような気分を我々は曇りの日には感じるのかもしれない。太陽の光は雲にさえぎられて地上へは届かない。普通雲はいつか消えうせるが、その雲がいつまでも空にとどまり、いつまでたっても消え去らないことが確定されているという世界で生きるというのはどういう気分なのだろう?考えても意味のないことである。
 

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