ある宰相の独白

「そう、私はかつて平民だった。家は貧乏で、日々の食べるものにさえ事欠いていた。しかし家の近くに生涯を科挙の勉強に捧げたのにも関わらず結局官僚になることができなかった男が住んでいた。私が住んでいた村の者たちは彼のことを狂人だと考えていたが、私はそうは思わなかった。彼は頭脳明晰で、独創性に富んでいた。ある物ごとに対して紋切型な表現をすることを何よりも忌み嫌っていたが、科挙の答案にはまさにその紋切型の答案が求められるのだ。彼もかなり譲歩はしたが、しかし後一歩のところで科挙に及第することができなかった。彼は毎日畑を耕し、そして詩作をしていた。彼は数多くの本を所蔵していて、私が彼の家に行くと何でも読ませてくれた。私は毎日彼の家に通い、本を読んだ。貧乏だった私が科挙に及第するだけの知識を身につけることができたのは、そういうわけがあったのだ。…彼は科挙の各試験の対策法を書物に記してまとめていたが、それも惜しみなく見せてくれた。時に体を動かして土と戯れたり、雲や河の流れを眺めたり、試験のことを忘れて自由に詩作をしたりすることの大切さを彼は教えてくれた。彼がいなければ私が科挙に及第することはなかったと私ははっきりと言うことができる。それだけでなく、数々の危機を乗り越えてここまでの地位にのぼりつめることができたのも、彼が私に独創性の大切さを教えてくれたからだった。…彼はなぜそれほどまでに私によくしてくれたのか?それはわからない。私に自分が果たせなかった夢を託していた…というのとは少し違うように思う。彼は何もあきらめていなかった。私ははっきりとそう証言することができる。彼は毎日窓から差し込む月明かりをたよりにして勉学にはげんでいた。それは科挙の対策とも、自由な詩作とも違うものであった。彼は彼なりの世界で、彼にしかわからない科挙を受けようとしていたのだ…。 生員になってすぐの頃に彼は死んでしまった。科挙の勉強に必要な書物は全て私に譲り、それ以外の、彼が書いた書物については全て燃やしてくれとの遺言を彼は残した。私の彼の遺言に従い、書物の中身を一切見ずに燃やしてしまった。私が彼との約束をきちんと守るということが、彼にはわかっていたのだろう。彼の生きた証は灰になり、空へとのぼっていった。私は彼に感謝はしていたが同情はしていなかった。彼のような人間は今の時代どこにでもいるのだ。そして彼のような人生も、また人生なのだ」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?