小説「ザリガニ」


「僕はいつか、この場所に帰ってくるよ」

 彼がそう言っていなくなってからもう15年もの月日が流れた。未だに彼は帰ってこない。上下ジャージ姿にサンダルをつっかけて、その頃生え始めた髭もそらずに、本当にその辺のコンビニに行くような格好で出ていって、そしてあっというまに15年もの月日が流れたのだった。


 いつも2人で手をつないで鳥居をくぐった。神社脇の林をぬけると河原に出た。私達はそこで色々な魚や虫を獲った。正確に言えば、私のために彼が色々な魚や虫を獲り、私はそれをにこにこしながら眺めていた。大体そんな感じだった。川の流れは太陽の流れを反射させて、宝石のようにきらきらと輝いていた。いつだってそうだった。夢中になってザリガニを何匹も釣って、それをバケツにたくさん入れて私に見せるために走って持ってくる。そんな彼の体にゲジゲジがたくさんついているのを見て私が泣き出す。そんな私の頭を撫でて、彼が慰めてくれる。そんなようなことを毎日していた。毎日していたけれど、私たちはそれに全く飽きることはなかった。


 ある日廊下を歩いていたら外からボールが飛んできて私のそばの窓ガラスを粉々に割ってしまった。ガラスの破片は私の体にも、私の周囲にもたくさん散らばった。私は身動きをとることができなかったし、近くにいた子どもたちもどうしていいのかわからずに立ちすくんでしまっていた。きらきら輝く砕けた破片が、私のことを外の世界から隔離してしまった。その時私はどうしようもないほどに孤独だった。そばにたくさん人がいるのに助けにきてくれないことが悲しくて、ついに私はしくしく泣き出してしまった。割れた窓から差し込む午後の太陽に照らされながら私はその時1人で泣いていたのだった。


 そこで私のことを救ってくれたのが彼だった。彼はその日上履きを忘れていて、しかもなぜか靴下まで履いていなかったから全くの素足だった。川遊びをする時と同じように彼は素足だったけれど、彼は全く躊躇することなくガラスの破片が散らばるあたりに足を踏み入れた。随分昔のことで記憶もおぼろげだからそれはもしかしたら正しくないのかもしれない。でも私には音が聴こえた。ガラスが彼の足をざっくざっくと切り刻んでいく音が。輝く破片が彼の皮膚をかきわけてどんどん中にもぐりこんでいく音が確かに聴こえた。彼はなんでもない顔をしていたけれど、彼の歩いた跡は真っ赤に染まっていた。それを見た私は彼はアホだなと思った。こんなことをして、誰かを助けるために自分で傷ついて、本当にアホだなと思った。でも私は自分はもっとアホだと思った。そんなに傷ついてまで私を助けに来てくれるのが心の底から嬉しかったから。彼が私の髪や肩についたガラスの破片を払って、いつものように頭を撫でてくれたのが心の底から嬉しかったから、私もアホだなと思っていた。そうこうしている内に誰かが呼んでくれた先生がやってきてそのささやかな事件は終わりを告げた。


 ささやかだったけれど、この出来事は後々まで私に深い印象を残すことになった。何か孤独を感じる時にはいつもこの、ガラスの海の中に閉じ込められた時のことを思い出す。この連想は常に一方通行だった。何かを割ったり壊したりして、手や足を傷つけてしまうことはよくあるのだけど、その時に「私孤独だな」と思うことはなかった。あくまでも「孤独だな」と思う時に、その時のガラスの破片のことを思い出すだけだった。この2つの違い、わかるかな?


 彼が姿を消したのは私達が15の時の夏だった。私はもう30歳になった。15年の間にはやっぱり色々なことが起きた。就職して、結婚し、子どもを生んでそれから離婚してまた就職した。女手1つで子どもを育てるのに、遊んでいるわけにはいかない。慰謝料だって振り込まれないことが多くなった。

 あの時山のように釣ったザリガニの中で、一匹だけ今でも生きているのがいる。ザリガニの寿命なんて調べたこともないけれど、20年も生きるのはすごいことなのではないだろうか?でもザリガニは実家で飼っていて、私の手元にはない。ザリガニを見てるとあの頃のことを思い出して心がくじけそうになる。懐かしい品物を見て勇気付けられる人もいるのだろうけれど、私は逆だった。昔のことを思い出すと、そこに帰りたくなる。だからザリガニを見るのは、本当にどうしようもなくなった時だけにしている。こんな私にも、幸せな時期があったんだ。そう思わないとやっていけないような気分になった時だけ。


 仕事があまり面白くない。そういうことを居酒屋で同僚と愚痴っていたら上司とはちあわせてしまって気まずい空気が流れた。翌日会社で会った時、できるかぎりの媚を売って私は弁解した。酒の席だったということで上司は許してくれた。私は出来る限りの笑顔を作って「ありがとうございます」と大声で言った。仕事が終わって、駅で寄ったトイレの鏡に映っていた自分の顔を見て私は愕然とした。そこには何の表情もなかった。笑おうとしても全く笑えなかったし、泣こうとしても全く泣けなかった。表情とか、感情とか、そういうものが一切合切どこかの穴倉に仕舞いこまれ、コンクリートで蓋がされてしまったようだった。どうやったって私はそれに触れることができないし、どうやったってそれを取り戻すことはできなかった。私はこれはちょっとまずいな、と思った。私は実家に戻って、ザリガニと対面することにした。

 あまり長い時間をかけることはできない。保育園で子どもが待っているから。遅くとも8時までには迎えに行かなくていけない。待つなんて辛い思いは、子どもにはさせたくない。


 本当はザリガニに会うために実家に行くなんてこと、しちゃいけないんだと思う。今すぐ保育園に子どもを迎えに行って、「一緒に帰ろう」って笑いかけてあげるべきなんだと思う。でも今の私にはそれができない。今の私には笑ってそんなことを言うことがどうしてもできない。


 
 20年以上も生きているんだから、このザリガニはどう考えても普通じゃない。だから私は実は、このザリガニは人の言葉を話すことができるんじゃないかと考えてる。私はこっそり、色々なことをザリガニに話しかける。「最近どう?」とか、「体の調子は悪くない?」とか、「寂しくない?」とか。主にどうでもいいようなことを話しかける。もちろんザリガニは答えてはくれない。でもこのザリガニはこんな私の言葉を理解していて、いつかは私の疑問に全て答えてくれるんじゃないかという思いをどうしても振り払うことができない。


 でも私は本当に質問したいことをこのザリガニに質問することはできていない。たとえば…

「彼は今どこにいるの?」

 とか。そういう核心的な質問をして、それでもザリガニが何も答えなかったら、多分は私はこのザリガニが普通の、ただ長生きをしただけのザリガニなんだってことを自分に信じさせることができると思う。でもその時、自分がザリガニに何をしてしまうかということはちょっとわからない。もしかしたらザリガニの硬い殻を打ちやぶって、中の柔らかい肉を引き出してしまうかもしれない。その行為の意味もわからずに。何かに到達するために、何かを取り戻すために、ザリガニの体を傷つけてしまうかもしれない。ざっくざっく。


 私はザリガニとちょっと時間を過し、両親とちょっと話をして、そして実家を後にした。ほんの少しだけ、笑えるようにはなっていた。私は急いで保育園に向かった。夜空には少しだけ欠けた月が浮かんでいた。これから月はさらに欠けていくんだっけ?それとも満ちていくんだっけ?私にはよくわからなかった。これから状況はよくなっていくのか?悪くなっていくのか?慰謝料は増えていくのか?減っていくのか?私には何もわからなかった。保育園には私の子どもしか残っていなかった。子どもは私の顔を見てもあまり嬉しそうな顔はしなかった。でも帰り道はずっと片方の手で私の手を、もう片方の手で私のスカートを握っていた。家に帰ってからも子どもはその手を離さなかった。ずっと。ずっと。


 思い出せないことがある。

 私と彼がどこでお別れをしたのかということだ。そこは私の家でも、彼の家でもなかった。どこかの廃屋のような場所だったのだろうか?でも私はどうしてあんな大切な場所を思い出すことができないのだろう?そこだけ記憶にぽっかりと穴があいていた。いくら考えても思い出せるという気が全くしない。彼の言葉は思い出すことはできるのに。

「僕はいつか、この場所に帰ってくるよ」

 いっそその言葉も忘れることができたなら、私はもうちょっと楽になるのかもしれない。楽になった私が何をしでかしてしまうのかということはわからない。

 もし、奇跡のようなことが起きて、彼が帰ってきたとしたら私はどうするのだろう?それは私の中のコンクリートを破壊して、表情と感情を取り戻してくれるのだろうか?それともガラスを破壊して、またきらきら輝く破片が私を孤独にするのだろうか?あるいはザリガニの殻を破壊して、中の柔らかい肉が引きずり出してしまうのだろうか?いずれにしてもそれはきっと私の救いになる。多分私は喜び泣き叫んで、頭を撫でてくれる彼の手の感触に酔いしれることだろう。しかし、その後私はどうするのだろう?もう彼を見失ってしまわないよう、彼の握り続けるのだろうか?私を握ってくれる手を振り払ってまでも?…結局のところ、こんなことは考えても無意味なのかもしれない。


 別れた夫には、2ヶ月に1回子どもと会うことを許している。前夫は子どもと会う頻度を増やしてほしいと要求している。もっと子どもとあわせてくれたら慰謝料をきちんと払ってあげると、そんな内容のことを遠まわしに言われている。随分人を馬鹿にした話だと思うけれど、前夫と会う時の子どもの満面の笑みのことを思うと、要求を呑んだ方がいいのかもしれないという気がしてくる。ざっくざっく。こんなこともどうすればいいのか、私にはわからない。

 いずれにしても私はきっとまたザリガニに会いに行く。色々なことをザリガニに会って、それから決めるのだと思う。これからも、何度でも。私はそういう風にしないと何も決めることができないのだ。きっと。 

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