2013年の終わりに


 もう1年が終わろうとしている。するべきことを何一つしなかった1年のようにも、ありとあらゆることに手を出しすぎて結局何も身につかなかった1年のようにも思える。こんなにも曖昧にぼかすような文章しか書くことができない自分を恥じる気持ちもあるが同時にいつくしむ気持ちもある。僕は今だに全ての意見や立場について相対的に検討することしかできない。

 今年は色々なことがあった。1つ1つ検討していくことは最早不可能なほどにたくさんの出来事があったのだ。それらについて書いた文章も膨大にある。それらを読んで月別におおまかな感想を残そうともしたけれど、あまりにも量が多かったので根気が続かずやめてしまった。だから今ちょっと思いつくことができる出来事を一つ一つあげていってその代わりとしたい。

 今年は世阿弥展にも行ったし、例の静嘉堂文庫にも行った。しかし天目茶碗展は行きそびれてしまった。多くの本を読んだ。ゲーテやバルザック、フローベールなどを読んだ。小説だけでなく学術的な本もそれなりにたくさん読んだ。

 しかし私は今年1年というものにうまく説明を与えることができそうにない。それはあまりにも混沌としすぎていて、誰にでも理解ができるように整理をすることができないのだ。


 12月は全く文章を書くことができなかった。竜があったはもう1ヶ月以上手をつけていない。読者はきっともうすっかり離れていってしまったことだろう。もうあそこは荒地になってしまった。…しかし、今からでも手を加えればきっと復活させることはできるはずだ。そうだ、きっとそうだ!


 私は毎年漠然と年を越してきた。行く年を餅やそばを食べながらのんびりとそれが演劇ででもあるかのように眺めていていただけだ。こんな自分を私は変えなければならない。そして本格的に私は小説を書き始めなければならない。世界を作り出し、そしてそれを見事に完成させるということを日々やっていかなければならない。私は私だけの美を、快楽を、小説の中で表現したいのだ。


 こんな決意が本当に身を結ぶのかわからないが。しかし私だっていつまでも若いわけではないのだ。いつかはこのぬくぬくとした生活を出て、あの青い空を飛び回らなければいけないのだ。たとえ偽者の羽しか、傷ついた羽しか持っていないとしても。

 書こうと思えば文章はいくらでも書ける。しかしそれじゃ駄目だ。人間の命には限界がある。いつまでも生きていることができないのと同じようにいつまでも書いていることはできないのだ。文章はいずれ終わらせなければならない。この短い年末の日記というか雑文に関していえば、その終わりどきは今であると思うのだ。それが正しいかどうかはわからない。しかし私はそう決めたのだ。

 私はとにかく来年は美をテーマにしていきたいと思う。自分なりの美を、小説なりなんなりで表現してやりたいと思うのだ。


 言いたいことはそれだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?