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[ 創作墨字 ちょうじょ ] 相手に良かれと思っての間違いーコミュ力育ち (写経継続123日 6クール18日)

長女が1年ほど元夫の実家に預けられていたときのこと。当時通園していた保育園では、どうーーーーしても食べられない食材でも残すことが禁止されていました。

そこで頑固な長女、思いついたのが「食べたふりをして洋服の袖の中に押し込む」作戦だったのだと。

敬愛する元夫の父(私からすると元舅、長女からするとじいちゃんです)と母から聞いた話です。
自転車でお迎えにいくと、朝より洋服の袖口がぷっくり膨らんでいて、「何が入ってるんだか」と不思議に思いのぞいてみたら、なんと嫌いな食材がわんさか出てきたと、笑いながら教えてくれました。

あー、なつかしいな〜〜。
方言がきつく、聞き取れないなりに「楽しそうな話題を喋ってるらしいぞ」と翻訳を聞いてからワンテンポ遅れてウケる私。大好きなじーちゃんとおばあちゃんだったな。懐が深くて、怒られたことないし、だいたい全てを受け止めてもらった。


小さい時はどうしても食べられない食材があるものです。緑の野菜はその代表格ですが、次女の息子のヨースケ(とてもとても食いしん坊です)でさえ、緑の葉っぱはよけて好きなものだけを食べます。

栄養素を考えると摂取した方が良いので、形を変えて(それだと分からなく調理して)食べさせます。さて形を変えて食べさせることと、それと認識して食べられることとどっちが大事でしょうか。


地域や時代によって考え方はさまざまです。
子どもの年齢によってもちがうと思います。幼少の頃は栄養素として摂取した方が良いので形を変えて(ハンバーグに入れ込むなど)摂取させました。小学生になったら、食べることができたという実感が苦手克服にも繋がるのでそれとわかって食べられることが大事になってくるかもしれません。


さて保育園児ならどうでしょう。
苦手なものは苦手です。食べたフリをして袖口をパンパンに膨らませて帰宅するより、少しだけでも食べられたらいいねというスタンスで「食べられない」という気持ちを受け入れる余裕があっても良いのかなあ、と思います。

気持ちを受け入れてもらえたと思えばこそ、「どうしても食べられない」ことを伝えることができて、そうしたら袖口に食べたフリの食材が入ることもなく、長女は嘘をつかずにすみ、保育園の先生をもっと好きになる。好きな先生が悲しむのを見たくないので食べられるよう少しは努力をし、「やっぱりダメだ許して」って気持ちが芽生え、「ごめんなさい無理です。」って正直に言えるようになれたかもしれない。こんなことがコミュニケーションの基礎を作っていくのかもしれないな〜と。


本音を言ってもいいんだよ、何があろうとあなたはあなたであって、それごと受け入れられるんだよ。人間みんなそういう存在なんだよ。ってことが伝わるチャンスを一つ取りこぼしてしまったかもしれないね。


そんなことを思い出しながら長女のイメージはこんな感じだな。
と創作した墨字です。


どこまでも自由な [ 創作墨字 ちょうじょ ] そもそも長女は自由人です。

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(写経継続123日 6クール18日)

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(参加中 #100日間連続投稿マラソン  37/100)


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます! これからもていねいに描きますのでまた遊びに来てくださいね。