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ブラック企業で「死ね」と言われた日



新卒で初めて就職した会社は、

驚くほど漆黒のブラック企業だった。


いわゆる同族企業というやつで、

社長一族だけが偉くて、

それ以外の社員は奴隷だった。


正確に言うと私が就職した当時は、

「会社風組織」

であって会社として最低限の体を保っているかいないかギリギリ、

というかギリギリのラインで保てていない感じであった。


例を挙げるとキリがないが、

・勤怠管理は「出勤簿」に自分で判子を押すのみ(勤務時間の管理はなし)

・平成なのに給料は手渡し(振込手数料が勿体ないという理由)

・給料日は社長室に「ありがとうございます」と言いに行かなくてはならない(そのため社長室に列ができる)

・ボーナスを受け取る時は「ボーナス支給日から2ヶ月以内に退職した場合は全額返金します」という誓約書を書かされる

・有給を取得するには理由を記入した上社長まで稟議を通さないと有給は取得できない

・隔週土曜と日曜祝日が休みなのに、社長秘書のみ毎週土曜も休み

・社長秘書は社長の愛人候補との噂あり(秘書は社長のお昼ご飯を手作りしたりする)

・休日に社長宅の引越しを手伝わされた上、モノを落としてしまった同期が「モノを落として申し訳ありませんでした」という始末書を書かされていた

・勿論残業代も休日手当ても出なければ代休という概念も存在しない



など10年以上前の話なのにいくらでも思いつくほどエピソード満載で、

当時大企業で働いていた彼氏に自分の会社のことを話すと

「嘘だろ、信じられない」

と信じてもらえないようなことが日常茶飯事であった。


そのブラック企業はなにせ「会社風組織」なだけなので、

それまで中途社員しか採用していなかった会社で、

私たちが初めて「新卒」として採用される時だった。

私は(希望していないのに)営業に配属された。

理由は、

「女の中で一番喋れたから」

だったらしい。

確かに私は根暗のオタクであるが、

「ガラスの仮面」をつけることによりビジネス風の人材に変身しある程度喋ることができる。

だが中身は根暗のオタクであることには変わりないので営業職は明らかに向いていなかった。

しかし私は根暗のオタクであるにもかかわらず、

「妙なところで気が強い」

という自分でもよくわからない一面も持ち合わせている。


入社してすぐ、

「新卒なのに全然先輩社員に歓迎されていない気がするな・・・?」

とは思っていたが、

既に働いている社員より新卒の私たちの方が給料が高い、

と嫌味たっぷりに先輩に知らされたのは入社してしばらく経ってからで、

「道理で・・・・・・」

と本意ではない形で新卒の私たちが歓迎されていない理由を知らされたりした。


会社風組織は、

社長の気分でコロコロと全てが変わる。


ある日営業課は二つに分けられ、

私は営業二課になった。


毎週火曜が確か営業会議がある日で、

会議のスタート時間は「定時より前」というミラクルな時間に設定されていた。

しつこいようだが残業代は出ない。


しかも会議というのは名目だけで、実際は

「発表会」

なのである。

何かを議論したりなどはしない。

ただ社長にそれぞれの営業進捗などを発表するだけである。

そして社長から何かあれば一言二言問いや命令があったりする。

そして驚くことに、その「発表会」には「リハーサル」があり、

社長が入る前に一度リハーサルが行われるのが通例であった。


定時が10時。

社長が入る会議風発表会のスタートが9時。

リハーサルのスタートは8時。

私たちの出勤時間は準備含め7時半だった。

それが毎週である。

誰もが

「無駄だ・・・・・・」

と思っていても、

ブラック企業に残っている人材というのは大抵が

「他の会社ではやっていけない人」

であり、

楯突くものはほとんどいなかった。

が、私は根暗のオタクのくせに何かにつけ楯突く、という怖いもの知らずであった。

生意気だったと今でも思うが私は合理的ではないものは死ぬほど嫌いなのである。

無意味なことを強いられるほど苦痛なことはない。


入社から数ヶ月経ったある日、

社長秘書の同期とランチを食べていると、

秘書あてに社長から連絡があり、

「明日の会議社長出ないって」

と秘書の子に言われた。

やった!

社長が出ないということは、

発表会のリハがなくなり一回で済む。

つまり9時からの一回だけでよくなる!

私はすぐに課長に電話し、

「今社長秘書のKさんと一緒にいるんですが明日の会議社長は出席されないそうなので皆さんに伝えて下さい」

と言ったら課長は

「わかった」

と確かに言った。



翌日8時半頃に出社すると、

私のいる営業二課の社員はまばらであったが、

営業一課は全員揃っており、

一課の島には一見してわかるほどの不穏な空気が漂っていた。

「何事・・・?」

と思いながら自席につこうとすると、

「おい!今日会議社長出ないって知らされてねえぞ!」

と一課の先輩に怒鳴られた。

「え?」

と二課の課長の方を見ると、

「お前、昨日一課のみんなにも伝えろって言わなかっただろ」

と言ってきた。

え?

え???

私は「皆さんに伝えて下さい」って言ったよね?????

この場合責められるのって私????????

ベテランというかほぼ老害の課長でなく、新卒で入社してすぐの私???????

「え、あ、すみません」

と言うと、

「すみませんじゃねえよ!お前がちゃんと連絡しなかったからみんな1時間も早くきてるんだぞ!!!どう責任取るんだよ!!!!」

と一課の先輩に再び強く怒鳴られた。

みんな1時間早く来てることの責任、

と言われましても、

と思った瞬間、

「死ね!!!!!!!!」

という言葉を強く浴びせられた。


みんながいる前で、

新卒の女の子が些細なことで責められて死ねと言われているのに、

誰もかばいもしないどころか、

私一人が悪い感じでなんだかまとまっちゃって、

私はもう居ても立っても居られなくなって、

「申し訳ありませんでした」

という言葉を置き去りにして会社の外の非常階段に行った。


泣いた。

理由は悔しいとか悲しいとかではなく、

面と向かって初めて他人に強く「死ね」と言われた「ショック」で、

私は多分泣いていた。


でも私は絶対に泣いている姿を同僚に見せたくなかった。

泣いたら負けだと思った。

私はきっちり時計を見ながら器用に泣いていた。

絶対に会議までには平気な顔で戻って、

会議の発表も完璧に成し遂げ、

最後は私が悪いとは微塵も思っていないが大人らしく謝罪をしよう。

そうすれば私の勝ち、完全勝利だと思った。


私はきっちり泣き顔が元に戻るまでも計算して泣き終えると顔を戻してそのまま席に戻り会議に出席し、

完璧に発表と謝罪を成し遂げた。

死ねと言われながらも「人として」は私の完全勝利に違いなかった。


それから何日か経って、私のケータイに「死ねと言った先輩」から電話がかかってきた。

平然を装って出ると、

「あ、もしもしイツキさん?ちょっとみんなのいないところに行ってもらっていい?」

と言われた。

なんでだよ、と思いながらも私はトイレへ移動した。

「こないださ・・・死ねって言っちゃったのは俺も悪かったなと思って、謝らないといけないと思ってさ。でも俺が謝ったのみんなにバレたら格好悪いから絶対誰にも言わないでね」

と先輩は言った。

いや、人としてそこは謝った方が格好いいだろ、

と思ったが私は「わかりました」と言った。


「ブラック企業にわざわざいる人間」

というのはこういうことなのか・・・・・・

というのを思い知った夏頃であった。



私は秋ごろにストレスで持病が悪化して入院し、

入院した翌日に課長がやってきて

「お前が戻ってきてもお前がやる仕事もお前が座る席ももうないから」

と、

「ドラマみた〜い!!!!」

と思わず感動するほどの不条理なセリフを言われ、

退院してから

「病人を雇えるほど会社に体力はないから自主退職してほしい。してくれなければ解雇」

と告げられて自主退職した。


後悔なんてありようがなかった。




それから同期もどんどん辞めていき、

残ったのは同期の男子二人だけになったと聞いていた。


数年前のある日、

同期で営業でもあったG君にたまたま街中で会った。

「ちょっと?!元気?!!まだあの会社にいるの?!?!」

と聞くと、

「いるよ」

と言われた。

「なんでまだあんなところにいるの?!?」

と聞くと、

「俺は社長に恩があるし、あの頃はやばかったけど今はずいぶんまともになっていい会社になったよ」

とG君は言った。


恩って何だよ。

あのブラック社長に雇用関係以上の何を見出しているんだよ。


G君はだいぶ目がキマってる感じがしちゃっていたので、

「せ、洗脳が完了している・・・・・・」

と思ったが、

G君がいい会社だと思うならいい会社なのだろう。

幸せかどうかは本人が決めることである。

「そっか、頑張ってね・・・・・・」

的なことを言って別れた。



G君の洗脳が完了しているのではなく、

もう誰も「死ね」などと罵られることのない、

本当にいい会社になっていることを祈るばかりである。

(その可能性は極端に低いと思っている)



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