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日比谷で再開します 3.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

いくつか物件の内見をしたけれど、新宿の店がいかに良い場所で良い条件だったかをぼくは痛感することになった。
新宿で店を始めて以来、多くの出店依頼をいただいていたので退店が決まったときには、いくつかの商業施設さんからお声が掛かると予想はしていたけれど、それでも懸念する大きな問題が二つあった。

一つは、必要な面積の問題。
最初にあれだけの規模と場所で店をさせてもらえたことが結果的に贅沢な足枷となったけれど、ぼくが「パン屋さんの生産性は、厨房面積に比例する」と考えるので、近郊に工場や厨房を持たないぼくが東京で小さなパン屋さんをやる選択はなかった。
また、スタッフみんなの通勤やお客様の利便性を考えると郊外は難しいから条件から外れる。

それでも新宿からの移転を考えると、無理を承知で可能であれば60坪くらい欲しい。とはいえ、ぼくが 無邪気に60坪くらいというのは勝手だけれど、ここは東京であり、おまけに新宿三丁目に代わるだけの場所、吹けば飛ぶようなうちの会社でもパンを売ってやっていける条件というのは、ぼく側の事情や理屈がそうであれ、地価などを考えると無謀極まりない我ながら正気の沙汰とは思えないものだった。
少なくともちゃんとした大人なら、こんな条件で本当にお店ができるとはきっと夢にも思われないに違いない。

そしてもう一つは、ここ数年における商業施設さんの契約種類の潮流が明らかに変わったこと。
ぼくが東京へやって来たころは、そういった意味で個人にもチャンスや夢のある時代だったと思う。ところが近年そういった誘致してもらう側にとって夢のある条件は、恐らく激減した。
時代背景を考えれば致し方ないと思えるし当事者であるぼくが考えても、そもそも大きな厨房を必要とするパン屋さんを地価の高い東京の一等地へ入れるというのは、誘致する側の商業施設さんにとって経済的合理性がないとしか思えない。

新宿スタッフと約束したからには物件探しを諦めるつもりはなかったけれど、こんな時代にそこまでして呼んでくださる商業施設さんがあるのか、という不安がぼくの頭をもたげはじめたころ、救いの手を差し伸べてくれる会社が現れた。
ぼくの好きなゴジラの生みの親、東宝さんだった。

物件の目処が立ったという意味では安堵し喜んだものの、個人的には一抹の不安が残っていた。だからぼくは、今回お世話になることになった東宝さんとの話し合いの席でも率直にそのことをお伝えしている。

「東京は才能ある人も次から次へと現れますし正直うち(の店)は、”いま”って感じじゃないと思うんです。旬じゃないって言うか」

webサイトやSNSで再開の告知をした際、多くのお祝いコメントや「いいね 」をいただいて嬉しかったけれど、コメントを読んでいるとその期待、ハードルの高さに不安になる。
もしぼくに才能がありその自覚もあったなら、こういったときにはいま風に「日比谷では、進化したル・プチメック 2.0をお見せいたします」と言いたいところだけれど、残念ながらぼくにそんな才能はない。
ぼくにはなくても、うちのスタッフにはきっとある・・・あってほしい・・・あったらいいな・・・

日比谷では、ル・プチメック 0.5 にならないよう、いずれ ル・プチメック 1.5 くらいになれるよう頑張ります

つづく


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