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質より量、読書の6月 | Jun.30

2020年の前半も今日で終了。
3月以降、1年の4分の1がそもそも存在しなかったかのような感覚を、多くの人が同時に体験してしまうなんてことが現実に起きるとは想像もしていなかった。予想は常に予想の幅をはみ出す。

6月は読書の月だった。
5月末から図書館の貸し出しが再開されたのをいいことに、45冊の本を借りたり返したりを繰り返し、そのうち40冊ほどを読んだ。感慨深く振り返るほどの数ではないが、まあまあの量になった。

量か質かの議論は、何かにつけ出て来るものだ。
「量のない質はない」と写真家の森山さんはよく仰る。まずはとにかく量がいるのは、競技選手の経験がある人などは、身を以て知っているはずだ。
いくら質が高い練習をこなしたらところで、そこに嫌というほどの量がなければ、向上などありえない。圧倒的な量は何につけても欠かせないわけだ。

僕は相当に面倒くさがりだけれど、この量を積むということにかけては、どういうわけか抵抗がない。
上手にオムレツを作れるようになりたいと本気で思ったなら、朝昼晩、毎日オムレツでも何とも思わない。オムレツに本気にならないだけのことで。

今月の読書は、やや本気だった。
まだ社会復帰も叶わず、外出に怯えて首をすくめていなければならなかったこともあるが、半ば開き直って読書に耽溺していた。
量さえこなしていれば、質は後からちゃんとついてくる。
何をどう読んでも無駄にならないとわかっている安心感ゆえの、乱読極まりない、節操のない読書月になった。

問題は、今月、頭の中に放り込んだ乱読の結果が、この先、どんな風に発酵して、どう変化するかだ。
日本酒造りと同じで、放っておけば黴が生え、腐る。杜氏のようにきちんとと手を入れ、育てていかなければ、そこからは何も生まれてこない(あるいは何を作る材料にもならない)。
日本酒なら磨き、蒸したコメに麹をふりかけ、発酵させ、樽の中で水に混ぜてやればいい。

小説ならばどうするか。
やはり書くしかない。
文章にもまた量は欠かせないのだから、圧倒的な量を書かなければ、何も始まるまい。

それにしても一年間に500冊読んだ時って、こんなペースを1年続けていたのか。時間だけが有り余っていた10代のこととはいえ、さすがに呆れる。

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