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プロとアマを分ける何かとは

「**家」という肩書きに共通するのは、アマチュアとプロフェッショナルの間に垣根がないことだ。

一般にはプロとアマの境界線を「売れる・売れない」「食えている・食えていない」だと思われているが、本当の境界はそこではない。
同じ地面の上にこすれば消えてしまうほどの薄さで一本の線が引かれているだけだ。線のどちら側にいるかでプロとアマチュアは分けられている。
その線は、自分のやっていることを心のいちばん深いところで信じているかどうかを区切る線なのだと思う。

一時期、写真については相当な量を独学で学んだ。
写真集、作家論、写真評論、哲学に至るまで、写真に関連するものを呆れるほど読み、見返し、写真とは何かを考えもした。
写真展に出かけては作家の話を聞き、会話を交わし、教えを乞い、その結果、自分には写真家は無理だという結論を出した。
僕は写真家である友人たちほど、写真を強く信じることができなかった。

幸い、僕には文章を書くことがあったから、写真の道を選ばずに済んだし、写真のように厳しくて、難しい世界に身を置かずに済んだ。それは幸運だったと今でも思う。
僕が写真家になろうとせずとも、すでに素晴らしい作品を発表し続けている友人たちが写真を作り続けて行く。そう思えるくらい、彼らの写真を信じる心は強い。
その強度を目の当たりにして、これこそがプロフェッショナルとアマチュアを分ける決定的な違いなんだろうと何度も思った。

裏を返せば「**家」になるのに必要な最低条件は一つだけとも言える。
テクニックでも経験でもなく、ましてや道具などではなく、写真であれ絵であれ彫刻であれ文芸であれ、そのものを信じてさえいればいいのだ。
これほどシンプルなことはない(シンプルさというのは時に凄まじく難しくもあるのだが)。

僕は言葉の力も物語の力も変わらず信じている。
絵画や彫刻、映画、すべての表現の根底には物語が流れていて、物語ゆえに人は否応無くその世界に惹かれてしまうのだという確信がある。
そう信じているから、今もまだこうして文章を書き続けていられる。

あとはとにかく書くこと。考えるより先に書くこと。
思考に追いつかない手にイライラするほどのスピードで、積み上がった物量に唖然とするほどの量を書く。
森山大道さんが仰っていた通り、写真に限らず「量のない質はない」。
書かなきゃ何も始まらないのだ。

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