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時代が変わるんじゃボブ・ディランでも聴くか。(2019.4.30.)

今上天皇の退位の儀式も終わり、いよいよ平成の終わり、令和の始まりである。
明治生まれの祖父を子供ながらに「すげえなあ」と思っていてから40年、よもや自分が3つの元号を生きることになるとは思わなかった。

昔から役人と銀行員とカメラマンにはなりたくないと言っていたのだが、本当にいちばんなりたくなかったのは天皇、皇族だった(もちろんなりたくてなれるものではないことは承知してます。あくまで概念的な想像として、です。万策尽きて、僕に「皇族になりなさい」と言うような状況になったら、日本もいよいよ終わりだ)。

閑話休題。

皇太子であっても、天皇を継ぐのは大変だよなあと思う。
いつだって覚悟を持ってこられたであろうし、お気の毒なんて言えないけれど、天皇という地位、職責は皇太子であっても大変なものなんじゃないかと。
僕は天皇を信奉するような伝統堅持主義者ではないけれど、さしたる自由もなく、常に公務に忙しく、国民第一で生きなければならない窮屈さの中で職務に当たられている、その大変さゆえに敬意を持っている。
今回の代替わりも、今上陛下のお年を考えると本当によかったと思うし、退位の後はしばしお好きなことをなさっていただきたいものだ。

日が変われば皇太子徳仁親王が即位され、皇位継承者は3人の皇族のみに。
このまま行けばやがて天皇を継承する皇族がいなくなる可能性もある。
天皇のいない日本を僕が生きて目にすることはなさそうで、ありがたい限りだが、もし、そういう存在がなくなってしまったとしたら、その喪失感は恐ろしいほどのものだと思う。きっとその瞬間まで想像することしかしない人が大多数をしめるのかもしれないけれど。
災害の時に天皇皇后陛下が被災者に向けられた眼差しや優しさは、政治よりもよほど国民に近いのだ。

何れにしても新しい時代はやってくる。
さまざまな面での急速な変化と共に、昭和の常識なんてただの旧弊になって行く新しい時代に、僕は「昭和は遠くなりにけり」と嘆きつつ、縁側で茶でもすするのが似合ってくるんだろうなあ。
縁台に胡座をかいて、碁でも打つか。

新しい令和という時代が、誰にとっても明るく、和やかで穏やかな時代になるよう願いつつ、ボブ・ディランでも聴きながら時代の変わり目を迎えることにしましょう。

それにしても、なんだか年の瀬みたいな巷の雰囲気、面白いね。

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