一人問答と失敗の重要性
今日は作っている途中の版木の修正に一日の大半を費やしてしまった。 何分にも下手の横好きなので、失敗が多い。彫りすぎてしまったところは版木を埋めて彫り直さなければならない。
誰に教わったわけでもないので、下絵も彫りも版木の修正もすべて我流なのだけれど、それだけに何でも思いつきを試すことができてなかなか楽しい。
版木を埋めると言っても何でどう埋めれば良いのか見当もつかない。
もちろんネットのどこかにはきっとそうした情報もあるんだろうが、探して見つけてその通りやるというのは性に合わない。失敗を積み重ねる方が経験も知恵も増える。「損して得とれ、急がば回れ」である。
版木の穴を埋めるのだから、本当は木で埋めるのがいちばんだろうが、彫り跡にぴったりと合う木を作ることなどできない。
さて何で埋めるか。
そういえば図工の時間にやった木工でニスを塗る前に目止めの砥の粉を使ったことがある。あれは木の粉末だったはず。
わずかしか要らないのだから、わざわざ買うのは馬鹿馬鹿しい。
うちにあるもので粉末にできる木材って何だ? そうだ、割り箸だ。割り箸を紙やすりで削れば粉になるはず。
粉はどうにかなりそうだ。次はどうやって穴を埋めるか。
粉末にした割り箸を押し込むだけでは絵の具をのせた時にボロボロに崩れる。
崩れないようにするには固めれば良い。
何で固める?
金継ぎの下地は漆で穴埋めしてた。そのためだけに漆を用意などできない。
漆じゃなければ膠だ。
松脂は膠の代用品にならないか。
江戸の庶民は何を使っていただろう。そうかご飯粒から作った糊だ。デンプン糊なら乾けば固まる。
というわけで紙やすりで作った割り箸の粉にデンプン糊を混ぜて練り、穴を埋めて乾かしてみた。結果は上々である。
表面を目の細かい紙やすりで平らにして再度彫り直し。試し刷りはしていないが、なかなか良い感じに修正できている。
今日、僕の頭の中で行われた一人問答を文字にしてみたのだが、何を作るにしても繰り返してを加えなければ完成度は上がらないのだと思い知らされた。
もの作りではヨーイドンからいきなり完成形に一直線ということはないとわかっているから、何度も失敗を繰り返すことに抵抗はない。それどころか少しずつ完成度が上がっていくのが楽しくもある。
ところが文章書きではついこれを忘れてしまう。いきなり完成度の高いものを書こうとしてしまうのだ。そしてそのほぼ全てはろくな文章になっていない。
原因の一端はnoteを含めたSNSにもある。
日々、書いて出しの繰り返しでは、文章を磨くことなど置き去りにするのが当たり前になってしまう。これはよろしくない。
といいつつ、今日も書いて出しで1日が終わるというこの皮肉。
テクノロジーの進歩によって人間はどんどん馬鹿になるというのは確かなようだ。
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