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2022年を振り返る

 例年、年の暮れには1年間を振り返ることにしているのだが、今年は振り返ること自体が苦痛であるようなロクでもない1年間だった。
 いろいろなことがあり、でも何一つ起きなかった矛盾の塊のような1年間だったのだから、振り返ったところで何が見つかるものでもない。
 相変わらず読書量だけはあって、その中にはとてつもなく面白いものもあったけれど、小説を読むことだけを楽しんでいる——小説世界に没入しているというよりも、現実逃避の手段として読書を選んでいるだけのような気持ちが拭えないことが多かった。
 心の動きが平坦になってしまって、これはいささかまずい状況なのではなかろうかと危機感を覚えてはいる。だが自分をどこかで客観視してしまう癖が功を奏しているのか、最終防衛ラインを越えさせることはないまま防御に成功しているような戦況だ。

 心臓がぶっ壊れた年から3年がたったのだが、あの年と比べると、死にかけたというのに手術だの機械の埋め込みだの、経験のないこと尽くしだったあの年の方が面白かった気もしなくもない。
 要はどれだけ刺激があるかということ。
 僕にとって刺激は自分の中から湧き出すものではなくて、自分の外の世界から引っ張り込むことなのだと良くわかった。

 来年はどうするのかと自問自答すると正直答えに迷う。
 何をどうすれば良いのか迷走状態なのも間違いのないことだし、どこから手をつけたら良いのやらと途方に暮れているところもある。
 コロナウィルスの蔓延で世間から意識的に距離をとって、自分の世界を許容ギリギリまで最小化して、友人たちと会うことすら最小限に絞ってしまった。いわば人生を宇宙の伸縮と重ねて、縮小局面と割り切った生活を送っていた。「人生最後の夏休み」と言ってみたり。
 それもこれも「罹ると死ぬ」と脅され、心臓が止まって死にかけたというのにまたかよと思い、今しばしは浮世の生活を楽しみたいと考えたが故の「勇気ある撤退」なのだった。
 金もないし、夏休みはここまでにして、何かまた仕事に就いて、拡大局面に入っていくターニングポイントなのだろうと肌で感じている。

 書くこと。
 残念ながら年齢とともに物語を作る才能が鈍化しているのは痛切に感じる。でも書けないわけではない。
 社会迎合的にウケを狙うことと、自分の好きな世界を描くことのどちらを選ぶことが良いのかは悩むところではあるけれど、前者を選べば蕁麻疹が出るのだから、後者一択なのは間違いのないところなのだけれども。

 この一年、作家の好き嫌いに関係なく、乱読の極みにいた。
 それでわかったことは、小説の世界もまた「蓼食う虫も好き好き」ということだった。どんなものを書こうとも、誰かのところには必ず届く。それが小説と呼ばれるものの水準にありさえすれば。
 というわけで、散々な1年でも得るものがゼロではなかったということで。禍福は糾える縄の如しなのだ、本当に。
 来年は10倍増で良いことがありまくりそうだ。

 (あ、来年は早々に声を掛けてもらったグループ展があるんだった。正月中に展示するものを仕上げなければ)。

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