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創作指南をざっくりまとめてみようかと思ったけれど

手元にある小説の書き方指南本と図書館から借り出してきた15冊ほどの創作入門を机に広げて、好き勝手に拾い読みしてみた。
どの執筆者も違う表現をしながら同じようなことを言っている。
だからと言って「こうすれば書ける」と言い切れるほどのセオリーにはなってないのがミソなのだろうけど、結局はみんな似たり寄ったりのプロセスを経て書いているのね、とそれだけはわかった。

気の迷いで一瞬「その似たり寄ったり具合をまとめてみよう」と思いかけたのだが、一瞬の後にやめた。
「どうだ、こうやって書けば良いってオレは知ってるぜ」とマウンティングしても滑稽なだけだし、そこまで品は悪くない。かといって「これを共有すれば、きっと誰かの役にたつに違いない」と妙な公共心に燃えるほど親切でもない。

これだけ便利な世の中なのだ。必要ならそれぞれが勝手に調べて、それぞれの方法を見つければいい。
そうして労力を費やすのも必要なことに違いない…………なんてことも実は全然思っていない。
多くの芸術がそうであるように、小説もまた自由な発想と方法で書かれなければ、文芸である意味がない。自分で考えて、書きたいように書くしかないと僕は思うわけだ。

一言だけ書いておくなら、どんな本を読んでも鵜呑みにはせずに、試してみるしかないよねということだろうか。
「守破離」ってのは物事を極める手順としては王道だと思うし、だったら最初は何も考えずに丸呑みしちゃうのも一つの手段。
丸呑みすればできるって思い込んでいなければ、うまくいかなかったときにもショックは少なくていいのかなと。

文章書きの経験に限った話じゃないけれど、上手くいかずに次の方法を考えているときが、やってることについて一番深く考えているときなんじゃないかと思う。経験的に。
あれこれ考えていると、ときどき突拍子もない解決手段を思いつくこともあるし(これが最高に気持ちいい瞬間なのだが)、そうなればしめたもの。「おかげでまた別の方法を考えられるじゃん!」なんて陽気な気分で、失敗をうひゃうひゃと喜ぶことだってできそうだ。
はたから見たら変態かアブナイ人にしか見えないだろうけど。

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