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【甲】i(アイ)/西加奈子

「この世界にアイは存在しません。」

この言葉を否定するためにこの小説はある。

人に「i」という小説を読んでいる、と話したらそれってどのアイ?と聞かれた。
表記上はアルファベットのアイだけど、、、とかいってはっきり答えられなかった。
多義的なようにも、本質的には一つに意味を絞れるような気もする。

主人公の名前はワイルド曽田アイ。
シリアに生まれ、アメリカ人と日本人の裕福な夫婦に養子として引き取られたアイは、いつも自分の境遇に引け目を感じていた。黒いノートに書き留めた、世界中で死にゆく人びとの数は増えていく一方で、自分はのうのうと生きながらえている。たまたま選ばれた、選ばれなかった、それはなぜなのか。逃げ道の見えない罪悪感に苛まれ、血のつながりのある家族、という基盤をもたない彼女は自分が置かれた環境にどのように根付いていけばいいのかわからなかった。そんなアイがいくつかの出会いと関わりを経て、
「私はここよ。」
そう言えるまでの過程に終始する。


ところで私は、「かわいそう」という言葉が嫌いだった。

その言葉を聞くたびに勝手に哀れまれて不憫だなと思った。その言葉を言う人は、無意識に自分は「かわいそう」なことにはならないとたかをくくっているんだろうと思っていたし、言われる側だってお前に何がわかる、と感じるだろうなとも思っていた。たぶんこれは、アイが悩まされたのと同じように私は、他人の悲劇に心を痛めることに資格や権利を無意識に存在させていたのだと思う。

でもこの本を読み終えて、そんなものは別に必要なくて、「自分の幸せを願う気持ちと、この世界の誰かを思いやる気持ちは矛盾しない」ことを知って、なんだか道が開けたような気がした。(ただ、そういった矛盾を感じられるような人は、えてして相手を知ろうとしているだろうとは思っている)
そもそも私は自分が哀れまれることに対して、下に見られている、と思っている節があった。私がそう思うのは勝手だが、同時に「哀れむ」ことや「かわいそう」に思うことはそれぞれの独立した自発的な感情であって、何かにそう思わされたり、それ自体に正しさが存在したりするわけじゃないことをやっと理解できた気がする。
それからそうやって自分の感情を自分のものとして認めてあげることが、物語の一つのテーマであるアイデンティティの確立、というのにつながるのかなとも思った。 誰かを思いやる自分の気持ちを自分で保証できるならそれは愛だと、そう思う。

なにが言いたいかよくわからなくなってきたが一番思ったのは友達って大事だなってことでした。ここにきてペラペラの感想で終わることを許してください。許します。

2019/12

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