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自分が表現する側ではなく一生享受する側であることで悩む凡人

私は都内に住むごく平凡な大学生だ。といっても、中学受験をさせてもらいありがたいことに大学までNO試験で生きてきた。世間的に見たら楽して生きてるタイプの人間。父親は会社員として働く傍ら、大学時代から活動を続けているバンドのメンバーである。母親はデザイナー。バンドマンとデザイナーのハーフなのだから、と私は音楽や美術や映画等、サブカルな文化に常に触れさせてもらっていた。

 父や母と比べると私はいつも凡人だった。何かに極端に集中することができず、全てが中途半端。特技を聞かれたら必ず「なんでも平均的にできることです」と答えるくらいには個性がなかった。ずっとそれで悩んできた。
中学受験の際、勉強ですらまともに集中力が続かない私のことを母親は「あんたは芸術的なセンスもないし天才でもないんだから勉強くらいはできないと将来就職できなくてニートになる」と叱責した。
無個性で悩みすぎて何度も自殺しようか迷った(痛そうでできなかったけど)
その結果、元々一般人として過ごすはずだった私は自分をサブカル系だと思い込んでいる一般人へと進化してしまった。
小学校2年生でYoutubeにどハマりし、無名の実況者の動画を見漁ったり、同人アニメを見たりした。そして、ボーカロイドの世界と出会った。
今はもう米津玄師として有名になったハチの曲もよく聴いていた。
そこから、段々と月日は流れ、私は立派に世間でいう"マニアックな音楽ヲタク"になっていた。80年代の音楽を聴いてみたり、Youtubeで超視聴回数が少ない人の曲を聴いたり...なんとなくそれで自分が特別になった気になっていた。
 よく、「彼氏や夫のステータスをさも自分のステータスかのように自慢する女」が取り沙汰されているのを目にしては、「自分の功績じゃないのによくそんなふうに威張れるよね」と小馬鹿にしてきた。
でも、多分私がこの19年間ずっとやってきたことは全く同じことだったのだ。
無名だけどキラキラ光る才能を持っていたネット出身のアーティストを知っていて、好きである。それだけで自分は両親が望んだ「他の人とは違う才能を持った特別な存在」になりきれているというとんだ勘違いをしていたのだ。

 なんとなく前から感づいていたその事実に、高校3年生にもなってやっと私は自覚することが出来たのだ。多分、それはadoのおかげだと思う。彼女は私とタメである。多分私と同じ時期からボーカロイドや歌ってみたを聴き始めたのに、彼女はあんなにも才能の感じられる歌声を持っていて、しかもそれを発表しようとするエネルギーまで持ち合わせていた。一方、私は同じくらいの時間それに割いてきたのにいまだにネットで無料で聴ける音楽を聴いてはただ消費するだけで何も生み出せていない。何度か自分で曲を作ってみたりもしたが、その度に自分に才能がないことを"音楽を聴き慣れている評論家気取りの自分"が教えてくれるのだ。
 昔からずっと楽曲を聴いているネット出身のアーティストがいる。
彼はラッパーなのだが、いつだったかの生放送でこう言って居た。「俺は、ラップっていうものを知ってから1週間もしないうちにラップを始めたんだよね」
 この言葉を聴いて、自分がただの社会不適合者に堕している理由が明確に分かった。
私は、様々な作品を享受しすぎてプライドがエベレスト級に高くなってしまったのだ。
自分が納得いく音楽を作れないから、発表しない。
Youtubeで動画を見るのは好きだけど、きっと私には編集の才能もネタも用意できないから動画を作る側にはならない。
自分の中で無意識にどんどんバツをつけて行動してみることを怠ってきたのだ。
世の中にはこんな人死ぬほどいる。勿論そういう人たちは私と違って学校の授業はきちんと受けているだろうし仕事をきちんとこなしているだろう。でも、自分が普段楽しいと思っている趣味を仕事にしたいと思いながらも自分で諦めた人は沢山いるはずだ。
私には才能がない。無個性で、大学の授業をろくに受けることも出来なければ、課題の提出期限も頻繁に破ってしまうどちらかと言えば普通より劣っているただの大学生だ。音楽的才能もなければ文才もない。でも私はこのnoteを投稿する。何者でもない自分を変えたいという願いを込めて。


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