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【読書感想】人間の欲望や罪と罰/花房観音『京に鬼の棲む里ありて』

花房観音さんの新刊『京(みやこ)に鬼の棲む里ありて』は京都を舞台とした時代小説だ。
実のところ、時代小説はあまり好んで読まない。藤沢周平作品をいくつか読むくらいだ。ただ、今回は好きな作家である花房観音さんの小説ということで、発売を心待ちにしていた。
本作には6つの短編が収録されているが、そのうちの3つについて感想を書き留めておく。


鬼の里

ときは室町時代。主人公の「かや」は京都の北東にある八瀬の里で、夫の千太と暮らしている。八瀬の里に住む者は鬼の子孫と呼ばれており、延暦寺の使役として、身分の高い貴人が比叡山に登る際に輿を担ぐ役目を任されている。
夫の千太はかやの従兄弟で、ただ図体の大きいでくのぼう。性欲が強い千太に求められ1日に何度も性交するが、かやは子をなすことができず、「石女(うまずめ)」と呼ばれている。
ある日、里に貴人とその連れがやってくることに。かやは一足先に里に来た、貴人の男妾である夜叉丸の世話係に任命される。女のように美しく、優しい夜叉丸にかやは心惹かれていくが――。

主人公かやの心理をたどるにあたって、千太と夜叉丸の「におい」の対比があり、千太への不快感が増していくのが分かる。

・「酸っぱさに、枯れた草が混じったような嫌な臭い」
・「胸毛と腋毛から漂ってくる腐った魚のような臭い」
・「今まで嗅いだことのない高貴な香」
・「花と木を燻して深くしたような、それでいて軽い、加えて刺激的で鼻腔の奥に刺さるような匂い」

「鬼の里」本文より引用

また、物語がかやの心情に合わせて変化していくと同時に、雲や月の情景が変化していく描写も美しい。

石女として家族から責められているかやと、男であることで子を産めない夜叉丸の共通点は、女としての役割を持てずに男の性玩具となっているところだ。この共通点がかやと夜叉丸の距離が急速に縮まっていくきっかけになる。

まさかの結末だったが、私が「鬼の里」から受けた印象は、結局のところ、女にとっては男がみな「鬼」であることの不条理さだ。
鬼が人に災いをもたらすものの総称だとすると、この物語では、男が女に災いをもたらす鬼だということだ。

この物語で、かやや千太、夜叉丸は架空の人物だと思われるが、夜叉丸という名が「鬼夜叉」にちなんでつけられていることから、世阿弥と足利義満の関係が浮かび上がってくる。こういった背景があるところが、時代小説の面白さでもある。


ざこねの夜

こちらもおそらく室町時代。大原の雑魚寝がテーマとなっている。
大原の雑魚寝とは、江文神社で節分の日に行われていた、いわゆる乱交パーティーのことだ。

主人公はふみ。性欲が異常に強く、昔から大原の雑魚寝に憧れている女性だ。初めて参加した雑魚寝で、ふみは2人の男と交わる。
ふみの性欲の強さは尋常ではない。結婚し、夫に肉体関係を求めすぎて、家事もろくにできず、早々に離縁されてしまう。
離縁され実家に戻り、姉夫婦と一時同居することになったふみは、あることがきっかけで雑魚寝の夜を思い出し、道を踏み外す。
親から「遊女にでもなれ」と言われ真に受けたふみは、都に出て本当に遊女になってしまう。
そこでまた、雑魚寝で関係した男と再会する。

私はこの「雑魚寝」という風習を知らなかった。ふみには負けるが、私も比較的性欲の強い女なので、当時の人間だったら雑魚寝にはたいへん興味があっただろう。

本書の全6編のなかで、官能シーンがしっかり描かれているのはこの「ざこねの夜」だ。暗がりでふみが2人の男と交わるシーンは、音と匂いで想像を掻き立てられる。
花房観音さんの官能描写はとにかく秀逸。私は女だが、女性・男性のどちらが読んでも、美しく淫乱でたまらないはず。

さらにここでも、歴史上の人物が登場するのが面白い。
猿顔、「夢のまた夢」という台詞、若年期の呼び名がヒントになっている。
この人物は、キスは上手いがED気味の男として物語で描かれている。
真偽は不明だが、この人物は実際に性欲が強いが男性不妊だったのではないかとの見解もあるようだ。

また、物語の終盤でふみが「私は地獄におちるんやろうか」と猿顔の男に尋ねる。猿顔の男は「人は生まれながらにして皆地獄行きだ。お前も、俺も」と答える。
地獄に対する思想は、花房さんが表現を変えながら様々な小説で書かれている。人はみな犯罪者、だから地獄へ落ちる。地獄へ行くのはあなただけではない、と。
エールのようでもあり、諦念のようでもあり、彼女の小説でいつも考えさせられる生死と地獄がここでまた表現されている。


愚禿

鎌倉時代の日野の里が舞台。
これは親鸞の「女犯の夢告」を題材にした物語である。
幼い頃から虚しさに支配され、生きることが苦行だと感じていた主人公。
精神的にも肉体的にも早熟だった彼は、毎日自慰行為にふけってしまう自分の欲望を責めた。女にふれると地獄に堕ちる、その恐怖から煩悩を断ち切るために9歳で仏道を志す。
彼は比叡山で20年もの長いあいだ修行をしたあと、頂法寺で百日参籠を始める。
睡眠、食事、排泄以外は一心不乱に経を唱えると決め、一週間が経った頃、入口に花が置かれているのに気づく。およそ百日間、ある女が活けた花に惑わされ続ける僧侶の話だ。

「女犯の夢告」は、花房さんの小説『色仏』においても触れられている。さらに、僧侶と愛欲については『花祀り』や『好色入道』などでも描かれている。じつに京都と相性がいいテーマだ。

僧は、ひたすら自分の愛欲について内省し続ける。
私もたいがい考えすぎる性質なので人のことは言えないが、彼は考えすぎじゃない?と思うくらいの内省ぶりだ。ときに妄想が激しく、自意識過剰だったり、被害妄想だったりしているのが、人間らしくていい。
だいたい、欲望が増幅するのは妄想が激しいからだ。自ら苦しみを生んでいるようなものでもある。
いっそのこと、『花祀り』や『好色入道』に登場する怪僧・秀建のように、欲望のまま突き進んでしまえばいいものを、彼は「仏の道に仕えて人を救う」信念を曲げられない。多分、完璧主義。
しかしながら、信念を曲げずに自分の欲に向き合い苦しみ続けたからこそ、救世観音様が現れ、救われたのだろう。

欲望を抱いて生きるのは苦しいけれど、人は欲望によって生かされている

「愚禿」本文より引用

たしかに欲望がなかったら生きている実感が沸かないかもしれない。お金が欲しい、名声が欲しい――そういった分かりやすい大きな欲望でなくても、平和に暮らしたい、穏やかに過ごしたいといった静かな欲望もある。
欲望によって生かされている私たちは、己の欲望にはなかなか抗えないものなのだ。


他の3編、「朧の清水」「糺の森」「母たちの大奥」もそれぞれ読みごたえがある。

朧の清水は、室町時代の終わりから鎌倉時代。平清盛の次女・徳子と彼女に仕える阿波内侍の物語だ。女の嫉妬と、裏切りの過去。

糺の森は、花房さんの小説『偽りの森』でも書かれている、「偽りを糺すの森」での話。
神職で水を守る家に生まれた高安が、跡継ぎに恵まれないのは、過去に犯した罪に原因があった。終盤で高安が受ける罰がものすごく恐ろしい。

母たちの大奥は、京都ではなく江戸が舞台。3代将軍徳川家光の時代だ。
将軍の乳母である春日局が目をかけた京都のお万。母になることと、母にならないことを選択した女たちの話。


今回ご紹介した『京(みやこ)に鬼の棲む里ありて』は、6編それぞれに人間の欲望や嫉妬、罪と罰が描かれている。語り手の心情が丁寧に描写されていてとても読みやすいので、時代小説を敬遠している方にもぜひ読んでいただきたい。


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