静物

2皿目|猫舌スパイのコンソメスープ/厨房ベルエポック

1人の“陸軍スパイ”がシェフに遺した、あるメッセージの話。

連載「厨房ベルエポック

日本一のレストランを目指し、
今日も腕をふるう83歳の現役シェフ。
その夢と情熱に巻き込まれ、
美味しくて、ちょっとおかしな日常を送ることになった
フランス料理店の家族を描く
ノンフィクション・エッセイの第2話です。

お店やシェフの詳しい紹介、目次などは
【最新版】プロローグ|83歳の現役シェフ」からどうぞ。

レストランには、実に色々なお客様がやってきた。道端ではまず、すれ違わないような変わった人もいた。そんななかの1人が「印相の糟村さん」と呼ばれる、大柄でふくよかな老人だった。

印相というのは「印鑑の相」のことで、手相占いのように印鑑を見て運勢を判断する占術だった。糟村さんは月に1度、東京からこの小さな町にやってきて、商店や会社を巡っては相談に応じ、社長の実印や会社印の艶や傷、印面の凹凸の具合などを見ながらアドバイスをする(印面は金運や健康運などさまざまな運に対応した「エリア」が決まっており、運気に応じて部分的に膨らんだり凹んだりするように見えるのだという)。そして、ひと仕事終えるとレストランに顔を出し、食事をしてゆくのだった。

時には、印鑑の製造も引き受けていた。糟村さんの印鑑は、一定の月齢未満の水牛の角しか使わず、彫る時間も朝の満ち潮の間だけ、と決まっているらしかった。その印鑑を使い始めてから商売が繁盛したり、家庭がうまく回るようになったと言う人たちがいて、糟村さんはあちこちに得意先をもっていた。

機屋のご主人が約束手形を受け取ったと聞くと、糟村さんは「どれどれ」とご主人の実印と会社印を眺める。次に、手形を撫でたり、光に透かしたりして、「残念だけど、これはダメだね。でも、2カ月は辛抱しなさい。そうすればあとは大丈夫」などと述べる。

すると、その翌月、機屋には取引先が倒産したという知らせが舞い込む。さらにひと月後、町の人たちは機屋について、別の問屋と新たに大口の取り引きが決まったらしいと風の便りに聞く、という具合だった。

また、利益が出なくて困っている、と嘆く社長がいれば、糟村さんはやはり印鑑を手に取る。そして、上から、横から、後ろから、斜めから、ためすがめつ調べたあと、「あんたはちょっと遊びすぎだねえ。あと、肝臓に注意」と呟き、右手を印鑑の上にかざし、「ほい」と念じる。

しばらくすると、社長を飲み屋街で見かけなくなり、ずいぶん景気がいいらしいという動向と同時に、「でもな、代わりに今までの調子で女を口説くと、『いざってとき』に『ダメになる』ようになっちまったらしいや」と噂が広まった。聞くだに「縮み上がる」ような、恐ろしい話だ。

レストランでも、糟村さんは怪しいことこの上なかった。運ばれてきた黄金色のコンソメスープをじっと見つめたまま、手をつけない。けげんに思った母が水を注ぎ足しながら「どうかなさいましたか」と尋ねると、糟村さんは「いや、実はね」と身の上を語り始めた。

私は、大戦中に陸軍中野学校で教官をしておりましてね。国からもう1つ、名前をもらって満州に行ったんですが。ええ、まあ、スパイですな。それが、大陸で捕まって、長いこと牢屋に入っていたんです。ずっと冷たい飯しか食えなかったもんですから、以来、熱々の料理が食べられませんで。冷めるのを待たせてもらってます──。

どこまで本当なのか分からない。しかし、魚料理も、ステーキも、テーブルの上に出されたあと、しばらく眺めている。少食で、いつも2皿程度しか食べなかった。1980年代後半、昭和が終わるころのことで、糟村さんはすでに80歳を超えていたから、明治か大正の生まれだったのだろう。

糟村さんが初めてレストランを訪れた日のことは、よく話題に上る。料理をつくり終えた父が厨房から出て、挨拶のために客席を回り始めると、糟村さんは「おや」と驚き、「あんた、ちょっと変わってるね。印鑑を見せてごらん」と言い出した。

怪しげなものが嫌いな父は顔をしかめたが、糟村さんは「いいから見せてごらんなさいよ」と言い張る。押し負けた父がしぶしぶ実印を持ってくると、糟村さんは柔道で鍛えたという太い指で黒光りする印鑑を挟み、しげしげと見つめながらこう言った。

「あんたは普通に商売すれば、40億は貯まるはずだ。だけど、気短さと因業さと頑固さが邪魔するね。もうちょっと頭を使ってやりなさい」。

母も兄も私もそろって目を剥き、「よんじゅうおく!?」と身を乗り出すと、糟村さんは慌てて「気短さと因業さと頑固さが直ればね」と念を押した。父は「そんな失礼な言い方があるか」と腹を立てて厨房に引っ込んでしまい、それだけはどうにも無理そうだった。

それから少しして、糟村さんの姿を見ることはなくなった。駅の階段で転んで骨折し、遠出できなくなったということだった。

一方、レストランには、大手食品メーカーの冷凍惣菜の監修や、多店化のための資金提供、テレビの取材など、おいしそうな話があれこれ舞い込んだ。しかし、父は「俺は1人ひとりのお客様と向き合って、うまい料理を作りたいんだ」と言って片っ端から断ってしまった。

最後に糟村さんに会ってから、30年以上が経つ。思い出話をするたび、父は「40億どころか、4億だって貯まりゃあしねえ。やっぱりあれはインチキ占い師だった」と毒づいている。そして、「俺がいなきゃ、店が始まんねえ」と言いながら、83歳の今も、いそいそと厨房に向かう。

そんな姿を見ると、私には糟村さんがやっぱり腕のいい、目利きの山師だったように思えるのだ。

3皿目は「1981年のクリスマス」です。

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※登場人物の名前は、プライバシーに配慮して仮名にしております。

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文筆業。新聞社系出版社で週刊誌や月刊誌の記者→外資系出版社でWebエディター→フリー。ノンフィクション、ルポ、エッセイなどを、のんびり書いています。ときどき翻訳も。写真を撮るのが好き。https://www.instagram.com/romy_0123/
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