見出し画像

1皿目|まぼろしのイカめし/厨房ベルエポック

フランス料理店を営む家族の食卓から、イカめしが永遠に失われた理由。

連載「厨房ベルエポック」

日本一のレストランを目指し、
今日も腕をふるう83歳の現役シェフ。
その夢と情熱に巻き込まれ、
美味しくて、ちょっとおかしな日常を送ることになった
フランス料理店の家族を描く
ノンフィクション・エッセイの第1話です。

お店やシェフの詳しい紹介、目次などは
【最新版】プロローグ|83歳の現役シェフ」からどうぞ。

だいたい、大人げないんだよ、プロのくせに。というのが、料理人の父に対する家族の評だった。相手がお客様だろうが、主婦だろうが、子どもだろうが、容赦なく張り合う。そして一言。「俺のメシのほうが美味い」。

みんなして、どれだけ叩きのめされたか分からない。兄が旅先で土産を買ってくれば、「なんだあ、こんなもん買って来やがって。俺ならもっと美味く作れるぞ」。幼い私が『ノンタンのたんじょうび』の絵本を前にクッキーを作っていると「うっわー、まっずそー! 俺が教えてやろうか?」とニヤニヤしながら水を差す。

店の2階の自宅で、母が家族の昼食用にミートソースなどを作ろうものなら、父は「こんなの、ミートソースじゃねえや」と言いながら手早く野菜を刻んで鍋にぶち込み、「塩も甘いぞ」などと指摘して、母に「放っておいてよ! 好きに作りたいんだから!」と抵抗されたりしていた。

料理をしているときに階下からトントントンと父が階段を上ってくる足音が聞こえると、私たちは大急ぎで鍋を冷蔵庫の陰に隠して換気扇を全開に回し、まな板と包丁を洗って片付け、椅子に座り、そのへんに置いてある昨日の新聞を広げ、料理なんかちっともしていませんよ、というふりをする知恵がついた。

そんな父の“プロ魂”のおかげで、永遠に我が家の家庭の食卓に上らなくなったものが1つだけある。イカめしだ。

それは、まだ母が嫁いだばかりのころだった。レストランにお嫁に来たのだから、少しは頑張って凝ったものを、とイカめしを作ったのだという。イカの軟骨やワタを丁寧に取り除いて洗い、米をもち米と半々にして中に詰める。ゲソは見栄えがいいよう刻まずに胴に詰め込んで先だけひょろりと出す。酒や醤油、みりんや砂糖で調えた煮汁でコトコトと煮、満足のゆく仕上がりになって、義母と夫と3人での夕食に出した。

ところが、夫はひと口食べた途端、なぜか笑いを噛み殺したような表情になった。そして、無言で必死に咀嚼を続けていたものの、とうとう耐え切れなくなって、ブハッと吹き出した。もちろん、イカめしごと。そのときの真意について、父は「そんな昔のことは覚えてねえ」と語らないが、母はこう振り返り、宣言した。

「あれね、きっとバカにしてたのよ。ド素人がこーんなたいそうなもの作りやがって、張り切っちゃって、まあまあ、って。あんなふうに吹き出したんだから、私は二度と、一生、イカめしは作らない!」

はたからすれば、いやあ、それって「可愛いやつだなあ」っていう愛でしょうよ、ごちそうさま、と思うのだが、母の怒りは切実で、それは同じような目に遭ってきた家族からすれば、まあもっともでもある。美味しくできそうだぞ、と思って作ったものが、結局、実はそうでもなくて、揚げ句、もっと美味しいものが出てくる、などということが続けば、もう“降参”するしかないのだ。

そんなわけで、私は「おふくろのイカめしの味」を知らない。

そんな父が、数年前のある日、帰省した私の手土産を食べて「うまいよ」と言った。それは、ターミナル駅の売店でイベント販売されていた創作の笹の葉寿司だった。そして、そのまま、続けざまに2つ、3つと口に放り込んだ。

自分以外の誰かが作ったものを「美味しい」と評するなど、ただごとではない。彩りに惹かれて買ったのだが、そんなに「当たり」だったのだろうか、と私も慌てて食べてみた。

しかし、酢が鼻につく。塩もきつすぎる。椎茸の煮付けは甘さだけが立っているし、海老に至っては生臭い。父は体調でも悪いのか、ボケて味覚がおかしくなったんじゃないだろうか、と「これ、美味しいの? ほんとうに?」と半信半疑でたずねた。

すると、父はじろりとこちらを見てから、てへへ、と笑い、「だよなあ、うまくねえよなあ」と言う。んもう、娘を相手に今さら何を気を遣ってるのさ、まずいんだったら無理して食べなくたっていいんだよ、と言ってから思い至った。

実家に帰ったのは、丸1年ぶりだった。独立したのだからどんどん書かねばと気負って仕事を詰め込んだものの、書くスピードが上がるわけでもなく、言葉のいちいちに引っかかっては考え込み、原稿の山がちっとも減らない。一度、気持ちをリセットしようと、一泊二日で帰省したのだった。

「うまいよ」は、焦って空回りする日々からよれよれになって抜け出してきた娘に対する、口の悪い父なりの「まあ、ぼちぼちやれよ」の励ましだったのかもしれない。

2皿目は「猫舌スパイのコンソメスープ」をどうぞ。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

お読みいただき、ありがとうございます。いただいたサポートは、取材や執筆のための資金として大切に使わせていただきます。

ありがとう!
74
文筆業。新聞社系出版社で週刊誌や月刊誌の記者→外資系出版社でWebエディター→フリー。ノンフィクション、ルポ、エッセイなどを、のんびり書いています。ときどき翻訳も。写真を撮るのが好き。https://www.instagram.com/romy_0123/
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。