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期待しすぎてしまう自分へ

9月は、ずっと体調が悪かった。

季節性のアレルギーで鼻水ずるずる、台風による低気圧で頭痛、ギックリ腰もやったし、何も手につかないくらいのプチ鬱?にもなった。

どれもこれも季節の変わり目のせいだ。
夏の疲れが溜まっていたのもあるかもしれない。今年は酷暑で、何度も辛いと感じていたし。

年々、季節の変わり目に体調を崩すようになってきているが、今年はまあ厄年だし、年齢的にも体調に変化があるのだろう。

小さい子どもがいて、思うままに睡眠時間を確保できていないのも要因かもしれない。

あとは長時間PCと睨めっこしているから、明らかに運動不足だ。
しかし「ちょっとウォーキングでもしようか」となれないほどに体調が悪くて、少しでも隙があれば横になっていた。

そんな感じで、ここ1ヶ月は特に歯がゆい思いをすることが多かったように思う。

目標としている仕事量、インプットしたいこと、読みたい本、行きたい展覧会。
たくさんあるのに、ぜんぜん手をつけられない。

そしてやりたいこと、やらなきゃいけないことがどんどん溜まっていき、妙な焦燥感だけが増えてゆく。

さらに、目の前の仕事に取り組むのに精一杯で、家事や育児も中途半端になってしまった。
特に料理に対するハードルが高くなってしまい、息子にはかんたんなものしか作ってあげられなかった。

その割に理想とする仕事量をこなせなかったので(もちろん目の前の仕事には全力で取り組んだ)、仕事も育児も全然できてない、とストレスを溜め込んでいた。完全な悪循環である。

こんな感じなので、寝る前にベッドのなかで妙な不安に襲われ、悲しくなることもしばしば。
9月は調子が悪くなるだろうと覚悟していたけれど、覚悟していた以上にしんどかった。

***

私は、いつでも自分に期待しすぎるのである。
「これをやりたい」「こうなりたい」が強すぎて、肝心の自分への配慮を欠いてしまっている。

自分へ期待しすぎないことが大人への一歩であり、人生を生きていくために必要なことだといろんなところで耳にする。

でも、私は自分に期待するのを止められない。
止められない結果「まだまだやれるのに、なんで」とほぞを噛む思いを味わっている。

しかし、しかしである。
結婚してこの街に越して来たばかりの頃を思い出してみると、私は私の期待以上の人間に育っている。

詳しくは割愛するが、結婚したばかりの頃、私は電車にも乗れなかった。
息ができなくなり途中下車したことが何度もある。

早く働かなければと焦り、いくつかのパート先に応募したもののどれもしんどくなってしまい続かなかった。

朝から晩までずっと泣いていて、帰宅した夫に話を聞いてもらったことも何度もある。

「まだ20代なのに、こんなんでこれからどうするんだろう?」「もう一生働けないのだろうか?」と、それこそ不安で眠れない日々をすごしていた。

それから4年ほど経った今の私はどうだろう。

まず、母親になった。
自分の世話もできなかった人間が別の人間を生み出して、なんとか「保護者」をやっている。

そして息子はほんとうに優しい、生きる力がみなぎった子どもに成長している。

それから仕事。
最初は右も左もわからずに始めたけれど、いまではライターとしての自分に誇りを持って仕事している。

体調が悪く進みが遅いと感じていた今月だったけど、はじめての紙媒体の仕事や、スカウトでご縁が繋がった仕事もあった。

「もう一生働けないのだろうか」「こんな状態なら子どもを産み育てるなんて無理」と思っていた私が、たった4年間のあいだに仕事と子ども両方を抱えて、なんとかできるようになったではないか。

そもそも、あの頃は自分に期待することすらできなかった。それを思えば、いまは充分ハナマルじゃないの。

***

期待しすぎるとしんどい、でも自分のことは諦めたくない。

そんなわがままな私は、これから「期待しすぎる」よりも「今より少しだけ自分を信じてみる」ことにする。

なぜなら、これまでもずーんと落ちたあと、ちゃんと自分の力で諸々を取り戻してきたからだ。

私のなりたいライター像というのは「職人」だ。
一朝一夕で結果を出したいのではない。
ずうっと研鑽し続けて、寡黙に良いものを作り出したいのだ。

だから大丈夫。
期待しすぎるのでなく、自分を信じて。
どんなに小さい一歩でも、私の足はきちんと大地を踏みしめて立っているのだから。


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