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失敗を恐れてはならないのがウィトゲンシュタインの教え

最近ちょっと落ち込んでいたのですが、というのもニーチェのね『善悪の彼岸』を読んでると、なんかずいぶん落ち込むんですよね。

何やっても人に理解されなくて無駄なんだっていうね、そういう気持ちになってかなり落ち込むんですけども、まあそんなふうにね、落ち込んでる場合じゃないわけなんですよね。

(今回も上記の動画を元に記事を書きました。アドリブのしゃべりをアレンジしてるので、その違いもお楽しみいただけます。記事は後半から有料(100円)ですが、YouTubeは全編無料で視聴できますので、応援していただけると大変に助かります。)

それでね、ウィトゲンシュタインの話になるわけですよ。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の冒頭によると

一 世界は成立していることがらの総体である。

『論理哲学論考』岩波文庫 P.13

と書かれているんですよね。

そして「成立している事柄」というのは、「論理空間」の中に存在するんだと。

さらに下記に引用するように、全ては論理だから、何が成立する事柄で、何が成立しえない事柄なのかっていうのは、もう論理的に決まっているんだ、という風に述べられているんですよね。

二・〇一二 論理においては何ひとつ偶然ではない。あるものがある事態のうちに現れうるならば、その事態の可能性はすでにそのものにおいて先取りされていなければならない。

『論理哲学論考』岩波文庫 P.14

ところがここで問題になるのは、全ての事柄の成立・不成立が論理的に決まっていたとしても、その事自体はあらかじめ人間には知り得ない、ということなんですよね。

だからなぜ人間が失敗するのか?私自身も色々失敗するんですけども、それは論理を見誤ってると言うか、つまりすべてが論理的に決まっているんだけども、人間にはその論理を事前に知りようがないわけですよね。

そうすると事前に試行錯誤して、そしてたくさんの失敗をする中で、何が成立して、何が成立しないのか? 何が論理的に適合して、何が論理的に破綻しているのか?というのを一つ一つしらみつぶしに試していくしかないわけですよね。

そうやってたくさん試して、たくさん失敗する中で、何が論理的に成立し得るのかという、その論理がだんだんわかってくるわけですね。

で論理が分かると今度は失敗しなくなる、あるいは失敗の確率が低くなるわけですよ。

というのも、何かを試して失敗の経験を重ねないと、この世界がどのような論理で成り立っているのかが、人間には分からないわけですよね。

だから「科学」という思考形態が生まれた近代以前は、例えば物体の落下についても、「重い物体は軽い物体よりも早く落ちる」と信じられていたわけですね。

そんなふうに間違った論理が、長い間ずっと信じられていたわけですよ。

そのことをガリレオ・ガリレイが改めて実験したら、重い鉄の玉も、軽い木の玉も、高いところから同時に落下させると、同時に地上に到達することが明らかになったんですね。

物体の落下をはじめとする物理法則は、不変の論理として存在していたにもかかわらず、ガリレオ・ガリレイが確認するまで人間はそれを知らないで過ごしてきたのです。

そんなふうに「知らないこと」っていうのは、現代においても人間にとってはたくさんあるはずですし、それは集団レベルでも個人レベルでもあるわけです。

だから結局、人間が生きていく中で、たくさん試してたくさん失敗するしかないんですよ。

このことについてね、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』と、ジャン・カルヴァンの二重予定説ってのは重なってるなと思えるんですよね。

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