ラ・ヨローナ ~彷徨う女~

ラ・ヨローナ ~彷徨う女~(2019年:グアテマラ)
監督:ハイロ・ブステマンテ
制作:ハイロ・ブステマンテ、グスタボ・マテウ
出演:マリア・メルセデス・コロイ
  :マルガリタ・ケネフィック
  :サブリナ・デ・ラ・ホス
  :フリオ・ディアス
  :マリア・テロン

東洋にも西洋にも伝承される怪異の一つ、泣き女。中南米では「ラ・ヨローナ」と呼ばれ、白い服に身を包んだ髪の長い女の幽霊が、我が子を探し求めて水辺を彷徨いながらすすり泣くという。そのラ・ヨローナ伝承とかつて中米グアテマラで起きた先住民虐殺のその後を合わせた、恐ろしくも悲しい物語。
1960年代、中米グアテマラでは反共政策として先住民をゲリラとして大量殺戮を繰り広げた。その30数年後、その虐殺を指揮した将軍は裁判にかけられる。一度は有罪とされるが、憲法裁判所は告訴を退け無罪となる。その判決に怒りを募らせた民衆は将軍の屋敷の前でデモを連日行い使用人たちは中年の先住民女性を一人残して辞めてしまった。そんな中新しく若い先住民女性の使用人がやってくるが、彼女が屋敷で働き始めてから屋敷に異変が起き始める。
ホラーではあるが、非常に考えさせられた社会派のドラマでもあった。下敷きにあるのが、グアテマラ内戦で起きてしまった先住民への虐殺。現在でも現地では問題となっているらしく、この作品に登場する将軍のモデルになったらしき人物も2013年に裁判にかけられ禁固80年が言い渡されたほど。背景にはキューバ革命から共産化していくラテンアメリカ諸国にアメリカや資本家たちが弾圧を加えたことにあるが、なるほど将軍の屋敷は豪邸で裕福な暮らしをしている様子。身形を着飾った老いた妻に、医師でもあるシングルマザーの娘、そして孫。彼らはいかにも富める白人然とした姿で、その屋敷で働いている使用人たちはみんな先住民のインディオたちばかり。嫌が上でも格差を感じさせられてしまう。決して差別的な演出があるわけではないが、背後を知ると非常に切なくなってしまった。
そんな中で将軍は裁判にかけられているのだが、やや傲慢で自意識過剰が目につき、虐殺を認めず、国家のためと正当化している描写があり、腹立たしく感じた。気管支が悪くなっているのに病室で酒を飲みながらタバコを吸い、女性看護師を口説こうとしている俗物。しかしこういう憎たらしい人物が話を盛り上げるのだから仕方がない。そん傲慢な男であるが、夜中に女のすすり泣く声を聞き、追い詰められていく。
その屋敷に新しく若い先住民女性が使用人としてやってくると、異変は唐突に顕在化し始める。彼女は黒い長い髪と褐色の肌が白い民族衣装映えて美しくもあるのだが、どことなく存在が浮世離れしている。深夜プールからびしょ濡れになって上がってきたかと思うと、フラフラと屋敷内を歩いて、使用人の部屋は床一面に水浸しになる。あまりしゃべらないが、将軍の孫娘のよき遊び相手になっている。しかしその行動一つ一つに何となく怪しさを感じる。正体は最後まではっきりさせられていないが、将軍たちは振り回され、やがて一家は運命を左右されてしまう。
屋敷を囲むデモ隊も全編を通じて存在感を出している。連日続くデモに将軍の老いた妻は憔悴が激しくなり、かつて女遊びが激しかった将軍への苛立ちや眼の結膜炎に就寝中の失禁など老化が進む。そして枯れたトウモロコシの畑で二人の子供たちを抱えて逃げるという誰かの記憶を追体験する夢を見る。何かの力が働いている印象を受ける。
物語はグアテマラ内戦の罪を問うものであり、ホラーの要素が薄味に仕立てられているのが非常に残念。クライマックスにその怪異が牙を剥くのだが、迫力は今一つ。屋敷がうなりをあげて崩れるような描写を見たかったが、忍び寄るような怪異の存在が希薄なので物足りない。あれだけ将軍の罪はあるのか、ないのかと考えさせられる展開だったのに尻すぼみに感じてしまった。
医師の娘が狂言回し的にストーリーの中心に座るが、あまり関わりがない。彼女こそが怪異と対することができる立場なのだが、自分勝手な職業軍人の父と上流意識の強い母にやきもきするだけで盛り上がりがない。思いつめ悩んでいる表情がきれいな美熟女だけに非常に残念。
中米の国家の作品だけに政治・人種・貧困などが絡みあい、淡々とした悲劇に描いているのは見事だと思う。最後は復讐なのか、裁きなのかは分からないが、まだラ・ヨローナの怪異は続くと思わされる描き方は期待してしまう。気分的には盛り上がりをしょぼくしたくないので作らなくてもいいけど。個人的にはラテンアメリカの文学は好きなので、今後は中南米の映画に注目したいと思わされた。

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