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いま憲法を学ぶ意味―富士フィルムの炎上PVに見る「肖像権」と「表現の自由」


2020年2月5日に富士フィルムがYouTubeで公開したプロモーションビデオ(以下「本件PV」といいます)が「盗撮を推奨している」などと批判を受け「炎上」しました。

富士フィルムは、既に本件PVを削除をしていますが、本来であれば、公開する前に「炎上するかもしれない」と立ち止まって考えるべきでした。

実は、私は、富士フィルムの広報担当者が「憲法」を理解していれば、このような事態は未然に防げたのではないかと考えています。
READYFORの執行役員CLOの草原敦夫さんは、企業法務であっても憲法は必要な素養であることを明快に指摘しています。

なぜ、憲法がわかると、この問題の本質を見抜くことができるのでしょうか。

憲法は、国家権力を構成するとともに、国家権力の制限するため、国民により制定されたものですから、憲法が規律の対象としているのは主に召喚獣である「国家」です。
国民だけで構成する法人や団体は、国民と対等な関係にあるものとして扱われますから、憲法は直接適用されません。
専門用語では、憲法の「私人間効力」と呼ばれますが、憲法は、国家と国民という垂直関係を規律するものであり、国民と国民という水平関係を規律するものではないとされています。

この点が問題となったのが「三菱樹脂訴訟」です。
この事件では、三菱樹脂(株)に採用されたXさんが、3か月の試用期間中に、採用面接で「学生運動に参加していない」とウソをついていたことがバレてしまい、本採用を拒否されたというものです。
Xさんは、三菱樹脂に対し、本採用拒否は憲法19条が保障する「思想・良心の自由」を侵害し無効であるから、まだ三菱樹脂の社員としての地位があると主張して、裁判所に提訴しました。

第一審(東京地裁)と控訴審(東京高裁)ではXさんが勝訴しました。
東京高裁は、企業が労働者を雇用する場合のように一方が他方より優越する地位にある場合、企業が労働者の憲法上の権利をみだりに犯すことは許されないとして、「企業と労働者」という事実上の支配関係を「国家と国民」の支配関係と同様に考え、憲法を直接適用ないし類推適用するかのような考えを採用し、注目を集めました(ステイト・アクションの法理)。

ところが、最高裁は「事実上の支配関係」と国や公共団体による「権力の法的独占」による支配との間には「画然たる性質上の差異がある」として、私人間には憲法は直接適用も類推適用もされないと判断しました。
そのうえで、私人間は、原則として「私的自治」に委ねられ、私的支配関係の是正は、立法措置や、公序良俗違反不法行為などの適切な運用により調整を図るべきであるとします。

前置きが長くなりましたが、富士フィルムの本件PVについては、撮影をされた人の「肖像権」と、撮影をした写真家の「表現の自由」をどのように調整するのかが問題となります。

第21条1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

写真家の「表現の自由」は、憲法21条1項で保障されていますが、撮影をされた人の「肖像権」は、憲法上は明文では保障されていません
しかし、最高裁大法廷は、京都府学連事件判決において「肖像権と称するかどうかは別として」としつつも、憲法13条により「みだりに容ぼう等を撮影されない自由」が憲法上保障されるとしています。

もっとも、「肖像権」や「表現の自由」が憲法上保障されているとしても、あくまでも「国家」によって制限されないことが保障されているにすぎません。
そのため、写真家が、私人を勝手に撮影したとしても、憲法上の権利である「みだりに容ぼう等を撮影されない自由」の侵害にはなりません
反対に、撮影をされた人が、私人である写真家に、作品を公開しないように求めたとしても、憲法が保障する「表現の自由」の侵害にはなりません

話がややこしくなるのは、撮影をされた人が、写真家に対して、不法行為に基づく損害賠償請求を求めて、裁判所に提訴をした場合です。

三菱樹脂訴訟判決によれば、憲法21条1項は直接適用も類推適用もされませんので、裁判所は、民法709条に基づく不法行為が成立するかを判断することになります。
ところが、裁判所による「判決」は、写真家にとっては、立派な「国家権力」による侵害です。
もし、表現の自由に配慮しないような判決をすれば、裁判所という「国家権力」により、「国民」である写真家が憲法21条1項により保障された「表現の自由」が侵害されるという垂直関係が成立してしまうのです。

そのため、裁判所としても、憲法21条1項の「表現の自由」を全く無視するわけにはいきません。
その意味で、憲法は、直接適用されませんが、間接的に適用されるのです。

私人間における「みだりに容ぼう等を撮影されない自由」と「表現の自由」との調整が問題となったものとして、写真週刊誌が和歌山カレー毒物混入事件の被告人の容ぼう等を無断で撮影した事件があります(以下「平成17年判決」といいます)。

平成17年判決では、最高裁の法廷意見は、私人間でも「みだりに容ぼう等を撮影されない法律上保護されるべき人格的利益」があることを認めましたが、「正当な取材行為等として許されるべき場合もある」として、無断で撮影したとしても、直ちに不法行為上違法となるとは判断していません

あくまでも、不法行為法上違法となるかどうかは「被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである」として、具体的な事例に応じて個別的に判断するというスタンスです。

また、いわゆる「盗撮」なのではないか?との意見もありますが、「容ぼう等を無断で撮影すること」は、法律上禁止されていません
多くの迷惑防止条例などにより、いわゆる「盗撮」として禁止の対象とされているのは、「人の通常衣服で隠されている下着又は身体」であり、「容ぼう等」でははありません
したがって、本件PVを十把一絡げにいわゆる「盗撮」と同様に考えるのは、適切ではありません。

もし、富士フィルムの広報担当者が憲法の素養があったならば、本件PVを公表するに先立って、平成17年判決を想起し、その判断枠組みの考慮要素にひとつひとつ丁寧にあてはめ、あらかじめ会社としての見解を準備しておくことができたでしょう。

本件では、さしあたり、撮影された人の「社会的地位」もなく、「活動内容」も公共の利害にかかわる事項であるとはいえません。また、「撮影の態様」も、通りがかりで不意に撮影するものであり、映り込みではなく、容ぼう等がハッキリとわかるものです。
そうなると、「撮影の場所」が公道であることを踏まえても、「撮影の必要性」として、承諾なく個々人の容ぼう等を撮影し、これを公表することにつき、本件PVがデジタルカメラの広告であること、写真家による表現活動であることを考慮したうえで、慎重に検討する必要があったといえるでしょう。

もちろん、会社として「控えておくべきである」と判断したならば初めから公表するべきではありません。
反対に、会社として「公表すべきである」と判断したならば、堂々と、平成17年判決の判断枠組みに基づく当てはめを説明し、本件PVの意義や価値を世に問うべきでした。

今回、富士フィルムの社内において、どの程度の検討をしたのかはわかりませんが、一度公表したものを炎上したからすぐに削除するという事態は、事前の検討が十分でなかったことを示唆します。

本件PVの当否は別として、企業法務であっても憲法が必要な素養であることがお分かりいただければ幸いです。

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