ほろ酔い旅日記~南アフリカ篇3 野生動物が教えてくれたこと
野生動物たちが教えてくれたこと
ゴンドワナのゲームドライブ(動物保護区の動物たちを車で見に行くこと)で出会った動物たちは、色々なことを私に教えてくれた。
仲間を想う
草食動物たちは群れをつくって草原を移動するのだけれど、ヌーの群れの中で足を引きずるようにして動いている一頭がいた。他のヌーたちと比べて明らかに歩調は遅い。近くに肉食動物がやってきたら可哀そうだけれど逃げ遅れるのかな…と眺めていたのだけれど、群れの中で足の悪いヌーが最後尾になることは不思議と無かった。群れの後方にはなるけれど彼の後ろには必ず元気なヌーが歩いている。群れで足の弱い者を守って動いているように私には見えた。
あるシマウマの群れに遭遇した時、横腹の部分の縞柄が明らかに乱れている者がいた。レンジャーによれば皮膚病にかかっているようだと。そのシマウマは、心なしか元気が無いように見えた。草を食んでいたその集団は、やがて次の草原へ移動してゆく。その時にシマウマたちは皮膚病にかかっている者を囲むようにして動いて行ったのだ。
どちらも私の思い込みと言ってしまえばそれまでなのだけれど、私には動物たちがヒトよりずっと仲間のことを想っているように見えてならなかった。
子を想う
カバのいた池でレンジャーから聞いた話。前後の経緯が良くわからなかったのだけれど・・・その池にいたのは母親と子どものカバ。なぜ母子が群れから離れてここにいるかというと、群れのオスが、自分のDNAを持たない子どもを見ると殺してしまうことが多いのだそうだ。母親は子どもを守るために、この池でひっそりと子育てをしているのだそうだ。
ヒトの世の中では、母親の連れ子を新しい男がせっかんして死なせてしまうという痛ましい事件が後を絶たない。
自分のDNAを持たない云々というのは、カバでもヒトでも同様なのだろうけれど、母親が子どもを守るための行動をしているところは、カバのほうがヒトよりよほど上等のように感じるし、オスのほうもヒトならばなぜ理性を働かせて踏みとどまれないのか?ヒトとして恥ずかしくないのか?と情けなくも感じた。
人生という坂の降り方について
1日目に会ったゾウは、とても大きなオスだった。かなり年をとっていて、長年群れの長を務めていた勇敢なゾウだった。今では群れから離れて悠々自適な生活しているのだそうだ。
ゾウについては、これまでに沢山の逸話を読んで(聞いて)きた。沼にはまった子どものゾウを群れの皆で助けた話。死期がせまったゾウは群れから離れて静かに一生を終える話。死んだゾウを仲間たちが取り囲んで葬式のような行動をしていた話。 などなど。
これらの逸話から、ゾウと言えば思慮深く、哲学的な生き物という概念が私の中では作られていた。
話は私が会った群れの長をリタイアしたゾウに戻る。
このゾウも群れから離れ、悟った死期に向けて・・・という荘厳な物語が繰り広げられると思いきや、そうではなかった。
群れの長を引退した後は、同じく引退した他のゾウたちと一緒に遊んだり、気が向けば昔の群れに戻って過ごすこともあるそうで、長としての重荷を降ろした後は自由気ままに生きていて、それを仲間のゾウたちも受け入れているらしい。
予想した(期待した?)感動的なお話ではなかったけれど、温かな仲間とつかず離れず軽やかに生きてゆく第二の人生(ゾウ生?)が見えてきてうれしくなった。
私も人生のピークを越え、どのように人生を「下りてゆくか?」に迷いに迷っている最中だ。このゾウのような後半の人生も悪くないな、それを知ることが出来て良かったなと思った。
実は2日目にもこのリタイアゾウに遭遇している。その時には、なんと以前の群れと一緒にいたのだ。昨日会った地点からは10㎞は軽く離れていたから、その距離をのっしのっしと歩いて会いに来たのだね。ゾウたちの表情は判らないけれど、仲良く木に咲いた花をついばんでいた。
ここまで書いて気づいたのだが、メスのゾウの老後はどうなんだろうか?レンジャーに訊き忘れた。
それを知るために、もう一度ゴンドワナを訪れなくては。
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