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ひとりぼっちのお姫様が、海へ冒険に出るまで


今回は、生まれてから今までの20年間の、いとまりの物語をお話しします。

一人の女の子の冒険物語です。


わがままで欲張りなお姫様


20年前の冬、私は大事に大事に見守られて生まれました。

父は高齢で、母は流産の経験あり。
やっと生まれて来た初めての子供でした。

これ以上ないほどに可愛がられ、欲しいものはわりとなんでも周りにありました。

だからこそ自信満々だったし、欲張りでわがままな子供だったんだと思います。


私は、うちの小さなお姫様でした。


欲張りなお姫様は、なんでもかんでも知りたがりで、教えてくれる人もいつもそばにいました。

地面に落ちているどんぐりの種類、
雷はなんで光ってから雷鳴が聞こえるまで時間差があるのか、
道端の看板の漢字の読み方、

「これなに?」「なんで?」が口癖で、父と母を困らせていたと思います。


明るく、思うままに生きていて、
自分の周りの世界を、ものすごい勢いで吸収していきました。


地元の公立小学校に入学。

小学校に入っても、欲張りは相変わらずでした。


ただ、変わったことは、ひとりぼっちなことが多かった。


学区外の小学校だったから近所の公園は違う学校の子ばかりで気まずいし、クラスメートとは家が遠いし、

父は単身赴任で中国に行ってしまい、母もバリバリ働いていて、


家にひとりぼっちになった私は、両親に代わって本が一番の話し相手になりました。


愛読書はいろんな事典、バーネットの「秘密の花園」、アーサー・ランサム全集、青い鳥文庫、ハリーポッター、etc。

読むだけじゃなく、ひそかに自分で書いたりもしてました。


やっぱり欲しいものはだいたい親が与えてくれたし、習い事もたくさんさせてもらってたけど、

両親と過ごす時間は少なく、無意識に、自分の世界から親をシャットアウトするようになりました。

寂しさの反動なのかも。


こうして万年反抗期がスタート。


中学時代、喧嘩したときに思わず母に放った言葉は、
「ママがかけてくれてるのはお金だけじゃん。」

本心ではずっとそう思ってたんだろうな、と思いました。


天真爛漫だったお姫様は、しだいに無口で笑わなくなり、ひねくれた天邪鬼になっていきました。


塔の上のお姫様


天邪鬼になったお姫様は、誰も登れない、高くて狭くて暗い塔の上にひとり閉じこもり、決して降りてきませんでした。


10歳くらいから小学校卒業までの2年間が、私史上いちばん真っ暗な時代です。


自分以外の世界を完全にシャットアウトして、一人閉じこもってた。いつも。

周りを見おろしているような感じでもありました。私は周りのみんなとは違う、もうこんなに世界を知ってしまった、と。


この世界、私以外、みんないなくなればいいのに。

それか、私がいなくなるか。


学校に一応友達はいたけど、学年が上がるにつれて、ドラマとかジャニーズとか、話についていけなくなって居づらくなって、

それまでは楽しくて通ってた塾が受験のための勉強にシフトして、ただでさえ言葉を交わすことの少ない親ががみがみ言うようになって、

大好きなピアノも、コンクールに出るからって親にも先生にももっと練習しろって怒られて。


なんかもう楽しいことなんて一ミリもなかった。


ひとりぼっちで、勉強もしたくなくて、持て余してる時間は、考え事に費やすようになりました。

小学生の小さな脳みそが燃え尽きてなくなってしまうくらいに、ずっと考えてた。


自分が生きる意味は何か。

人間はどうしてこんなに辛くてめんどくさい生き物なのか。

自分で選べるはずの人生なのに、なんでこんなに辛いことがあるの?


要するに、厨二病を周りの誰よりも早く発症し、一人でこじらせてたってわけです。笑


塔の鍵が開いたのは、小学校の卒業のとき。

小学校を出ると同時に、自分を塔に閉じ込めていた黒く渦巻く感情からも、抜け出しました。あっさりと。

すっと身体が軽くなったように、ずっと一人で閉じこもってた塔から出て、

私は、誰のことも寄せつけない、ひとりぼっちのお姫様でいることをやめました。


お姫様から女の子へ


中学に入って、私は普通の女の子になりました。


これから入る中学校には、お姫様だった私のことを知ってる人は一人もいない。

絶対に、生まれ変わってみせる。


いわゆる、「中学デビュー」をきめました。


おしゃれをして、友達と映画を観てプリクラを撮って、スタバで勉強して、恋バナして。

文化祭が大好きで、クラスメイトを引っ張る存在としてコミットしたり。


そのころの私のモットーは、「人生楽しんだもの勝ち」でした。
数年前とは大違いです。笑


高校では、2年生までは恋愛しかしてませんでした。
彼氏が何よりも大事だったなあ。

初めて人を愛して涙を流した。

他のことは全く手につかなかったけど、すごく毎日が鮮やかで、きっと一生忘れないと思います。


高3の1年間は、いろんな意味で限界に挑戦してました。

秋の文化祭でやるクラス演劇のために受験生の夏をまるまる費やし、
毎日苦手なブラックコーヒーを4缶ぐらい体に流し込んで命を削って演出としてコミットしてた。

そんなんだから勉強は全然間に合ってなくて、
秋から受験までは辛いとも辞めたいとも1分も思わずに、無心で勉強してた。

今思うと、初めて、「圧倒的に努力する」っていうのが身をもって経験した一年でした。


中高6年、まあまあ楽しくて実りもあって、
自分にとってはかけがえのない、けど普通の、青春時代を過ごしました。


普通の、どこにでもいる少女。


ビーチで遊んでたら、真っ暗な海に溺れてた。


受験という長い孤独な戦いを終えた少女は、解放されたかのように、自由奔放に遊びました。

綺麗なビーチで、気が済むまで友達と波と夕日と戯れるように。


はれて東大に入学し、とりあえずは何をしたかというと、めっちゃ遊んでました。
クラスのメンツが楽しくて、毎日友達の家でみんなでゲームしてた。

サークルもバイトも楽しくて、それなりに勉強もして、
ありがちだけど、それはそれで充実してめっちゃ楽しい大学生活を送ってました。


全部が新しくて、でも生ぬるくて、それが最高に楽しい感じ。


大学一年の夏からフレキャンっていう全国の大学一年限定のミスコンに出て、

そこでSHOWROOMと出会いました。


それ以来、生活は一変。


毎日ごりごり配信して、24時間ずっとSHOWROOMのことだけ考えて、家にこもって、ひたすらに努力しました。

仲間に支えられ、どんなオーディションイベントも連戦連勝で、知名度と実績を積み重ねていきました。


その頃のモットーは、「誰とも違う私でいる」でした。

人と同じなのが嫌で、自分にしかできないことがしたかった。


最初は、結果が出ることがただただ楽しくて、のめり込んでいきました。

栄光を積み重ねれば積み重ねるほど。知らず知らずのうちに。

ビーチで自由奔放に遊んでいたはずの女の子は、
気づいたら真っ暗な海の中に溺れていた。


このままでいいのか。SHOWROOMしか能のない私で。

将来何になればいいのか。

やりたいことはある。ライブ配信をもっと盛り上げたい。

でも、ゆうこすやSHOWROOMの前田さんを尊敬して追いかけているけど、
考え方は同じでも私には彼らのような熱量が無い。出せない。


力不足な自分に対する自己嫌悪、

何者でも無い自分への虚無感、

誰にも相談できない孤独感、


それで腐ってる自分が本当に嫌いでした。

輝かしい実績とは裏腹に。


そろそろ就活考えなきゃ、、、

そう思って、広告代理店だとか、メガベンチャーだとか、とりあえず繋いでもらっていくつか企業訪問しにいきました。

そういう世界にやりたいことなんてないけど、まずは知ることからだ、と思って。

そこでびっくりしたのは、お話を伺った人みんな、

「やりたいことがあるんなら、それで突き抜けたほうがいい」

そう仰っていたことでした。

企業の人だから、スタンダードな就職を勧めるのかと思ったら真逆で、

自分を信じてみようと思った。


それで、好きなことで生きると、決意を固めました。


少女は、真っ暗な海からやっと頭を出すことができたんです。

さあ、ここからどうやって進もうか?


船を見つけて


暗い海から抜け出した少女は、どこにでもいける自分の船を見つけて、広い海を走り始めます。


好きなことで生きていくと決心した私は、行動力の塊でした。


ライバー事務所を作りたくて、起業も考えたけど、いろいろな人に話を聞いた結果、難しいかなってなって、じゃあどうしよう?

、、ゆうこすだ!!!!ゆうこすと組みたい!!!

そう思ってすぐに自分でメッセンジャーでラブコールを送り、会ってもらえて、そのまま一緒に働くことに。


ゆうこすという最強の島を発見。


そこで奮闘しているうちに、自ずと箕輪さんを知ります。

面白そう!って気になって、即箕輪編集室に入会。


みの編というめちゃめちゃ楽しい島も発見。


ひとりぼっちのお姫様だった少女は、広い海で自由にやりたいことだけやって、面白そうなことだけを求めて、

最高の仲間と一緒に冒険しています。


あなたも仲間になって、私と一緒に冒険してみない?



というわけで。

ここまで読んでくれたあなた、よくこんなに長いのを読んでくれました。

ありがとう!!

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