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ドラマ「メンタリスト」感想

ふた月ほど海外ドラマにはまっていた。
海外ドラマ… 昔、NHK夜に放送されていたころは、「ホワイトハウス」「ER」とか、他局の「ダークエンジェル」とか好きだったけれど、最近はとんとご無沙汰していた。だけど偶然、SNSに流れてきた感想を見ていたらおもしろそうで、なんとなくアマプラで1話を見たらそのままのめりこみ、全150話超を走り抜けた。
おもしろくて、きゅんきゅんして、毎晩しあわせでいっぱいだったので、感想をつづっておきたい。ちなみにネタバレは気にしないので、完走前のひとは気を付けてね。

「THE MENTALIST/メンタリスト」
シーズン7まで続いた超人気作(らしい)
かつて霊能力者を騙った元詐欺師で、今はCBI(カリフォルニア州警察/架空の捜査機関)の犯罪コンサルタントであるパトリック・ジェーンと、彼の相棒で上級捜査官のテレサ・リズボン、個性豊かなチームのメンバーが凶悪事件を追う一話完結型のサスペンス。かつ、連続殺人鬼「レッド・ジョン」に妻子を殺されたジェーンの復讐譚でもある。物語は一話完結型の事件を描きながら、全体でジェーンとレッド・ジョンの攻防を描いていく。

感想でよく「ジェーンのキャラが好きになれるかがドラマを好きになれるかの決め手」って見かけたけれど、とにかくこのはなしで魅力的なのは、主人公であるパトリック・ジェーンそのひとだ。
元詐欺師で殺人鬼への復讐に燃える犯罪コンサルタント。
ひとを操ることに長けた人間心理のスペシャリストで、目的のためには手段を選ばず、ひとを陥れ、ひとを利用し、時には殺人すらいとわない。気品と教養にあふれた挙措と外見だけども、誰にも本心は明かさないし、皮肉屋で、一挙一動すべてが彼にとっては演出だ。
という鼻もちならない嫌なやつなんだけど、とにかく、もうすごく、かわいい。書きながら、この属性と「かわいい」は両立するのか?と首を傾げてしまうんだけど、主演のサイモン・ベイカーのたれ目がちのふにゃっとした笑い方は魔性で、このひとがおとぼけたこと言ってふにゃふにゃ笑うと、なんでかだいたいゆるしてしまう。ちょうどジェーンによく文句を言っているリズボンのように。
もちろん、それだけじゃない面がジェーンにはたくさんある。
妻子を深く愛していて、彼らが殺される原因となった過去の自分の傲慢さを悔いていること、その自己嫌悪を抱えながら生きていること。一度愛する者を失ったからこその臆病さ、本心を隠すふるまいを続けてきた人間ならではの不器用さ。ひとを驚かすのが好きな子どもみたいな無邪気さと、殺人鬼を追い詰めるときの冷酷さ。
ジェーンの人格というのはおもちゃ箱とか、万華鏡のようで、ころころ変わるし、本人もわかって演じているところがあるから、こうだと一言でいうのがむずかしい。むずかしいけれど、確かにそれはジェーンの本心なのではないかと、あるいは飾らないほんとうの表情だったのではないかと思う瞬間は何度もあって、その抑制された、だけども奥に情感や痛みのあふれる語り口や役者さんの演技が、わたしはとてもすきだ。
このはなしは、語られることのないジェーンの感情を想像することが、とてもたのしい。描かれた向こう側にあるものに想いを馳せたくなる映像と脚本、サイモン・ベイカーの演技が魅力ではないかとおもう。

ジェーンのことばっかり書いてしまったけれど、わたしの押しポイントは、上級捜査官リズボンとの関係である。わたしは、人物単体ではなく、そのあいだにある関係性のほうにときめきを覚える人間で、このはなしもジェーン&リズボンの関係性が150話にわたって描かれていなければ、これほどのめりこんだりはしなかったと思う。
テレサ・リズボンはジェーンと好対照の人物だ。
捜査官としては優秀なチームのボス、真面目で、嘘がへたで、小柄な女性ながら凶悪犯に立ち向かう勇気と気概があり(ジェーンはすぐにリズボンの背に逃げる)、そして大事にしている相手に対してはとことん誠実に向き合う。このはなしの面白さはいくつかあって、そのひとつが、ジェーンが毎度予想外の突飛な方法で犯人を追い詰め、無事逮捕するんだけども、いろいろ被害も出すから、リズボンがかんかんに怒ってしまい、ジェーンが言い訳したりなだめたり逃げたりして、まあ結局リズボンがゆるしちゃうってやつである。150話、ほぼほぼこの力関係で話が進む。視聴者からすると、ああまたやってるね、みたいなやり取りなんだけど、とにかくこのリズボンとジェーンの攻防がいつもかわいいのである。いつまででも見ていたいくらい。

リズボンは基本的にはクールで、自立した強い女性だ。チームのボスだから、部下に弱音は吐かないし、実際に銃をもって犯人を追い詰めるすがたがむちゃくちゃかっこいい。すき。かっこいい。大事だから二度言った。
けれど、話が進むと、なかなかひとに弱さを見せられない彼女という人間の不器用さ、早くに母を亡くし、虐待する父から弟三人を守って育てあげた強さ、愛情深さ、母の遺品である十字架をいつもつけてる清冽さや、打ち解けたときにのぞく可憐さ、そういったものが見えてくる。そして、責務からか、気性からか、強い女性を演じているリズボンが、ふとした瞬間にみせる少女のような弱さをジェーンがすくいとる瞬間に、もう、むちゃくちゃ萌えるのである。あと、いつもからかったり冷やかしたりしているくせに、こういうときは真摯によき友人として接するジェーンが、いいんだ。こういうの好きなひとは見よう。絶対好きだから。
ふたりがいつ男女として想うようになったのかは明確には描かれていない。
このはなしがすごくて痺れるのは(関係性フェチ的に)、150話中およそ120話ちかくまで、ふたりのロマンスは、ほぼ一切ないところ。ふたりの絆は折に触れて描かれるし、リズボンがジェーンを家族のように案じていることや、他人の心を操るジェーンがリズボンにだけは真摯であろうとしていることは、見ていればおのずとわかるし、たぶん彼女は彼を愛しているのだろう、彼も彼女を愛してるのだろうと、言動や行動のはしばしから想像はできるのだけども、捜査中にキスしだしたり、それっぽい色っぽい雰囲気になることが、ほんとうにまったくない。ふたりともちょうまじめ。ある意味で仕事馬鹿。レッド・ジョンとの死闘を繰り広げるふたりの微かな余白からこぼれおちる、なにか砂糖のように見えるものを「きっとこれは砂糖だ!砂糖にちがいない!」とか思い込みながら味わうのが、レッドジョンに片を付けるまでの120話といっていい。
だけども、それがいいのだ。そこが、むちゃくちゃいいのだ。
レッドジョン事件が解決してからのシーズン6後半とシーズン7は、そういう意味では、砂糖だと夢想していたものにいきなり公式に名前がついて、かつ天からがつんがつん特大級の甘い塊が降ってきて、ちょっともうおののきながら砂糖の坩堝でかきまわされるようなすばらしい展開だった。
なので、シーズン6ファイナル「青い鳥」がいちばんすきだ。
もちろん、ジェーンとリズボンの関係性スキーとして、こんなしあわせな終わり方はない。ラストシーンのうつくしさはやばい。情熱的なのに、きよらかでうつくしい。わたしがアメリカ映画に抱いていた、さいごはちゅっちゅすればいいと思っているだろ(偏見)がきれいに取り払われて浄化されるようないいシーンだった。
それはそれとして、すばらしいんだけども、なによりも、長いあいだ、ひとの心を読み、ひとを操り、そうして自分の本心だけは隠して生きてきたジェーンという男が、さいご、最愛のひとを失ってしまうかもしれないときづいて、身もふたもなく走る。それまではいつだって余裕綽々にふるまっていたのに、うろうろ空港をかけまわって、フェンスを飛び越えたら足をねんざして、ひょこひょこ歩きながら飛行機を止めて、そうして半泣きになりながら、リズボンに隠していた本心を明かすのだ。
もう遅い、と言ったリズボンに、いいんだ、とこたえるジェーンが印象的だった。愛を叶えること、リズボンを手に入れることが目的ではなく、自分の本心を伝えることが大事だったのだと、伝えられてよかった、こわかったけれど、と。
たぶんこれが、パトリック・ジェーンという男の呪いが解けた瞬間で、その相手が、彼が闇と復讐のなかで出会い、長く苦しい年月をともに駆け抜けたリズボンであったことが、いとおしい。ふたりが築いた関係性には、わかりやすく愛や恋というなまえがつけられ、そのあとふたりは恋人に、そして伴侶になっていくのだけども、そんなことは割と結構どうでもよくって、ジェーンが扉をあけて自分の心をだれかに手渡すことができた、そうしたいとなりふり構わないほど強く思えた、それがとってもとってもすばらしいのだ。なによりもこのはなしのタイトルが「青い鳥」なのもいい。ジェーンが探していたものは最初からジェーンのそばにいた。

もっとストーリーにも触れたかったのに、ジェーンとリズボンの関係性について触れただけでこの文字数である。愛が深い。
いくつか印象的だった話がある。ジェーンとリズボンの関係性の一点推しみたいな書き方をしてしまったけれど、このはなし、ストーリーの完成度も高いので。
2-16「コード・レッド」
4-21「ルビー色の魔法の靴」
どちらも一話完結なのだけども、「コード・レッド」は生物兵器の研究所と閉鎖空間のなかでの捜査というスリル(あとリズボンの「遺言」が潔くて、ジェーンの返しも含めてすき)、「ルビー色の魔法の靴」は二段構えのオチと希望の描き方が、どちらも一本の短編映画のようにすばらしかった。
脇役だと、チョウ、ハイタワー、ラローシュがすきだ。
とくに、ラローシュがずっと隠していたタッパーのひみつが明らかになるはなしもとてもいい。彼が抱えた闇の深さと愛の深さに胸が痛くなる。
ハイタワーとレッドジョンをめぐる攻防はシーズン3の真骨頂でもあって、終盤付近の展開には手に汗を握った。とくにシーズン3ラストの、宿敵を撃ち殺したジェーンの描写は、印象に深い。皆がおののき、彼のもとから逃げ去っていく、その中心で何事もなかったかのようにお茶を飲む、激情とかなしみ、闇と狂気の描き方。
敵方ではローレライも、個人的にはかなりすきだ。
シーズン4ラストは、すきなシーンが多くて、ひとつはローレライと別れたあと、手掛かりをつかんだジェーンが一気にくたびれた中年男から精気を取り戻すシーン。目に光がともる、というのを具現化したようなシーンで、役者さんがうますぎて鼻血をふきそうになった。
そして、教会でのリズボンとの再会。これはまさしくジェーンとリズボン!みたいなシーンで、教会の厳粛な雰囲気と、ひょっこり現れるジェーンがかわいくて、やりとりも含めてすごいすきだ。
さらに、当時あまりに衝撃的すぎて呆然となった(うそじゃない)「ごめんよテレサ、愛してる」のシーン。あとではぐらかす狡さも含めて、ジェーンがもうずるくてずるくて、とってもいい。

もう永遠に語り続けていられるんだけど、さいごにひとつだけ。
シーズン7で描かれたジェーンが買った小屋について、ずっと考えていた。この小屋の描き方は、ちょっとふしぎだ。リズボンを失うことをおそれて逃げ出したジェーンが、旅のなかで見つけた、みすぼらしいいびつな小屋。小屋を見つけたジェーンは、ほっとしたような笑顔を取り戻して、リズボンのもとに帰ることを決める。水鳥が二羽泳ぐ池のほとり、決して風光明媚とはいえず、はじめて見たときのリズボンも若干戸惑っている始末。
なにかの象徴のように描かれているのだけど、本編中で明言はされていなくて、その意味について見終わった後も考えていた。
ヒントは与えられている。シーズン7でジェーンはずっとキャンピングカーで生活をしている。車で寝泊まりして、事件現場にもキャンピングカーで現れるのだ。これはジェーンが人生のリスタートという旅の途中であることを示しているのかな、とおもっていたのだけども、そういえば、ジェーンは本編中も、ずっとはじめから仮暮らしなのだ。CBIの屋根裏を勝手に改装して生活してたり、モーテルを転々としていたり。妻子が殺された家はそのまま持っていて、ふたりが殺された現場にときどき寝に帰っている描写も見られた(闇が深い)。
つまり、これはジェーンという男が、アンジェラたちが殺されたあと、はじめて持った「家」なのだということを理解したとき、わたしはちょっと泣けてしまった。それは妻子を失って、だれかと関係を築くことに、何者かになることに、あるいはなにかを持つすることに臆病になっていた男が、はじめて手に入れた帰る場所で、もうその重みから逃げることはしないと、だれかと手を取って歩いていく意思表示なのだと、解釈した。
そしてリズボンから明かされたラストの「贈り物」がとてもよいよね。
さいごはジェーンの「家」にみなが集まり、楽しく夜を明かす。
池のほとりで、愛するひとと未来に想いを馳せる。リズボンの背に回された手のやさしさ。こういうささいな仕草がとてもジェーンだ。
奇跡のようにうつくしい終わり方でした。
すばらしい物語をありがとう。たぶんこの先も、好きなカップリングはって聞かれたら、メンタリストのジェーンとリズボン!ってこたえるだろうなって思います。

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