すべて表現は引き算かも。

「もっと写真がうまくなりたい」しばらくすると上達します。どんなシーンでも自分の構図で写真が撮れるようになる。「うまいですねー」観客は感心。

「もっとダンスがうまくなりたい」しばらくすると上達します。高く大きく跳んで早く回る。観客の視線は釘付け。

「もっと文章がうまくなりたい」しばらくすると上達します。短い文章で済むところを、うまくふくらませて引っぱる。読者は...。

「うまい」ってどういうことだろう。表現で何を見せたいんだろう。自分の才能?技術?...技は何かを伝えるためにある。技自体を見せる目的は幼くて表現以前...ぼくはそんなふうに感じます。

写真を撮ってもダンスを踊っても観客がいなければ意味が無い、とまでは言わないけれど、ほかの人に伝わらないし広がらない。文章もそう。いいことが書いてあっても長文だと読みたくない。どんなに内容が良くても手前で踵を返してしまう。双方もったいない。だとしたらどうするか。むりやり読ませる?宣伝する?

ぼくの考えは「自分から読みたくなるように仕向ける」そういう気分になってもらえるように、できるだけやってみる。字数を制限して、文を練り直して、伝わるぎりぎりまで文字を落としていく。

写真って「主題と背景のように要素を入れて構成する」と思ってる人が多いけれど、実は引き算なのよね。引いていくと主題と背景に分けられなくなる。それが視線、まなざし。何を画面に入れないかの引き算。その方式で苦手な文章も書いてみる...そう決めたら少しふっきれた。

写真も文章も引き算。もしかするとすべて表現は引き算かも。


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ありがとうございます🏄
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消費されない記憶の記録。キレイよりウツクシイ、ウマイよりイイカンジ♪

コメント2件

写真とダンスと文章を書くことをしているのですが、とてもためになりました☺️
技や技術にこだわってしまう部分が多くあり、本質からどんどんと遠ざかっているところがあったのでとてもしっくり来ました☺️
まっそさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
技や技術も実力のうちですから、コンテストのように競う楽しみ方だってあっていいと思います。同時に技術なんて全く知らない人が、心から撮りたくて撮った写真は、ぶれてボケて傾いているのに人の心を打つのが不思議で魅力に感じています。初心を忘れず研鑽に励みたいと思っています。またお立ち寄り下さい。
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