SNSとの距離のとりかた。

発信したい側が言う。「嫌なら見なければいい」と。そうかもしれない。発信は自由だ。

静かな部屋の窓の外に、いつからか開発中のビルが映る。「嫌ならカーテンを閉めたらいい」そうかもしれない。ビルだけ取り除くことはできないのだから。

見たいものとそうでないものが混在するとき、「不都合なので変えてください」とは言えない。たまに言ってるのを見かけるけれど、逆の立場で自分に当てはめれば、おかしいってわかる。

見たくない記事は自分で対処。見に行かない、あるいは表示しない。


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皆が次々「お役立ちレシピ」を公開していく。料理に限らずライフハック、メンタルテクニック...「試したらうまくいった」「おいしかった」あくまで基準は自分か自分が知り得る範囲に限られる。そりゃ当然だろう。すべての料理や味や調理法と比較なんて無理だから。

自分の知るひとつの成功法が、あらゆる人のあらゆる状況に効く万能特効薬みたいに「こうすればうまくいく」と触れ込む。逆は必ずしも真とは言えないのに言い切ってしまう。心の弱った人がすがりつく。ほんとうは自己治癒力を高めるのが援助なのに、依存を作り出してしまう。


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メンタル系に多いカテゴリや解決メソッドも「あ、自分はコレに当てはまる。だからうまくいかないのか」と安心させる。占いレベルの内容を心理と標榜する。人の一面だけ見て数種類にタイプに分けできるなんて。しかも有効な対策があるなんて。君すごいな。

どこでもなんでも、効果の無い場合や例外がある。けれど皆そこに触れず、自分のメソッドや発見の効果を声高に謳う。弱った人はあちこち惹かれ回って努力する。ほんとうは癒しも救いも自分の中にあるのに。


最近では淡々とした記録や体験に目が留まる。誇張もせず静かに伝える言葉は心の底まで染み渡る。立て板に水のセールスとは真逆、まさに「伝える」より「伝わる」状況。

あらゆる言語・非言語メディアに於いて、この「伝える≠伝わる」表現は極めて重要なポイント。それは「伝えたい内容が何なのか」よりずっと手前にある。コミュニケーションデザインは「わかる」前に響いて感じる。


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ありがとうございます😀
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消費されない記憶の記録。キレイよりウツクシイ、ウマイよりイイカンジ♪

コメント2件

itokazさんのnoteを読んで最近のモヤモヤが依存を作り出す色々に対してだったことに気付きました。ありがとうございます!癒しも救いも自分の中にある…本当にその通りですね☺︎
ごぶサタデーしています。コメントありがとう。依存って難しいですね。本人は心地良いし後で気付くことだし見ている人は関係ないし...。Yokoさんのnote、読むのを楽しみにしています。
僕は最近「結論無くてもいいじゃん!」と思って気楽にnote書いてます。(笑)
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