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自分の将来のこと考えるよりダサい

将来のことをちゃんと考えるのはダサい、みたいな発想が、確実に自分にはある。

目の前のことすらちゃんとできてないのに、先のことばっか考えて、それにとらわれてじたばたしてるような人のことを見て、そんなふうにはなりたくないとか思ったりする。それに飽き足らず、ふつうに考えたら必要なレベルの、数ヶ月先の嫌なことすら、いま考えるほどでもない将来のこととして切り捨ててしまう。

現実から目を背けている、ということ自体から目を背けているだけなんだけど、「明日のことは明日の自分がなんとかしてくれるよ」みたいな逃げ方を繰り返してきてしまった。"それがかっこいい"みたいな拗らせ方も少なからずしていたから、ちゃんと将来のことを考えている"ちゃんとした人"のことをダサいと思ってしまうんだろう。

最近、そんな生き方もしてらんなくなってきた。

特別考え方が変わったわけでもないけど、仕事とか、お金のこととか、考えたくもない現実のことそのものを考えざるを得ない状況に立たされているといえる。あえてさらに抽象的な言い方をすれば、ダサいことをしないといけないとこまで追い込まれてる。

いや、別にこれまでのように将来のことなんか考えずに、その日暮らしのような生き方をしようと思えば続けられるんだけど、それを徹底するほどの芯なんてもともとなかったな、と最近気づかされてしまった。

だから、もう少しまともになろうとか、そんな漠然としたかっこよくもない決意染みた何かを「成長」と呼んでしまうとして、自分は「成長」なんかのためにがんばることができるだろうか。がんばらないために、がんばる必要がある場面であることは確かなんだけど、本当にがんばりたくないな。

読んでても意味のわからないであろう、個人的な思考メモ的なnoteを書いてしまった。とっても自慰的で気持ち悪いな。

けど普段なにしてたとか、日記的な内容とどっちの方が需要あるかとか考えると大差はない気もする。他人が普段何してるかとか、何考えてるかとか、正直同じくらい興味がないから需要に差なんてない。考えるだけ無駄。自分の将来のこと考えるよりダサいだろそんなの。書いてしまったんだから投稿してしまえ。

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同じくらい需要のない、今日何してたとかも書いてしまうと、はじめて脱出ゲームにいってきた。

たまたま同じチームになった人たちが脱出ゲームに慣れすぎてて、そんなに頭をひねることなく脱出できてしまった。現実からも、ほどほどに楽しみつつからこのくらいあっけなく脱出したいよほんと。

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ミス・パラレルワールド/相対性理論

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