見出し画像

型にはめられるのは好きではないけれど

手本を見ずに何かをする、ということがどうやら苦手らしい。

みんなそうだとこの歳まで思っていたのだけど、意外と手本を参考にすることなく「まずやってみる」というスタイルの人がけっこういることを知った。

仕事でも新しいことを覚える際に、まずは一度一連の流れを見せてもらってから、次に自分でやってみる、という流れで教わるのが効率的だと思っていたし、実際僕にはそれがいちばん合っていた。

でも、教えてくれる人の中には「まずはやりながら覚えていこう」という人もいるし、逆に教えるときに「見るだけじゃわからないからやりながら教わりたい」という人もいる。

それはどっちがその人に合っているか、という話であって、どっちが良いとか悪いとかって話ではない。

この前、仕事で「まずやってみる」派の人と完全に初見の作業を一緒にすることになった。ここでやはり、最初の段階での取り組み方がまったく異なっていた。

「まずやってみる」派は、基本的にはすぐ作業に取りかかりはじめ、進めながらわからないところでマニュアルを参照したりしていた。

僕は、まずマニュアルにざっと目を通して完成形を確認してから、作業に取りかかった。

最初に作業が終わったのは前者で、後から加えた修正等の時間まで考慮すると作業時間はほとんどどっこいだった。かといって、やり方を逆にして同じ結果が出るかといえばそうはいかない気がする。少なくとも僕は、前者のやり方で同じスピードでできるとは思えない。やはり合う合わないの問題なんだと思う。

───────────────

そういう違いってどこから生まれるんだろう、とふと思った。

もともとの性格、遺伝といってしまえば話はそれまでなんだけど、あえて考えたとき、ひとつだけ心当たりはあった。

僕には姉がいて、昔から姉が何かをして怒られていたことはやらなかったし、やっても問題がなさそうだったことは、(世間的にあまり褒められたことではなくとも)真似してきた。逆に、姉がやっているのをみたことがないことは、怖くてできなかった。成長しても、誰かがやっているのをみたことがないことへの抵抗は拭えなかったし、先の例のように、完全に初見の行為に取りかかることに対してはすごく慎重だ。

一方で、姉は、典型的な「まずやってみる」派の人間だった。やってみてわからないことはすぐに人に聞くし、呆れられたりすることもあったけど、なんだかんだ周りには助けられるし、いろいろと上手くやっていた。そもそも人生において手本が用意されていないシチュエーションの方が圧倒的に多かったんだろう。だから、とりあえずやってみることへの抵抗が少なかったのかもしれない。

先の話の「まずやってみる」派の人も、そういうところが姉によく似ていた。

ふと聞いてみると、弟がいるとのこと。

星座占いや血液型診断のほとんどはバーナム効果で片付けられてしまうけれど(個人的にはその手のやつけっこう好きなんだけど)、兄弟姉妹の構成から性格を割り出す診断には、一定の根拠と合理性がある気がする。家庭環境が性格に与える影響は大きいと聞くし。

かといって、「あなたは末っ子だから、わがままなんだよね」みたいな暴暴暴論を突然振りかざされるのは腹立たしいし、人の個性をステレオタイプにはめ込むこと自体、失礼な行為だというのは忘れずにいたい。演繹、帰納、どちらに偏り過ぎてもいけないんだと思う。その人をありのまま捉えて、ありのまま理解するということは思いの外難しいけれど。

───────────────

そんなことを考えながら今日の仕事を終えたら、夏休みになった。たくさん休みがある。うれしい。突然偏差値が2になってしまった。なにしよう。なんでもいいけど最高の夏、まずはじまってくれ。

───────────────

シュガーサーフ/おいしくるメロンパン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?