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呪い #お花の定期便


「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」

文学に疎い私がこの言葉を知ったのはつい最近のこと。川端康成の言葉だそうだ。
なるほど、街なかで、店頭で、その花を見かけるたびに脳が勝手に昔の誰かを弾き出す、ということか。黄色い花びらを眺めていた彼女や薄紫の花びらに触れていた彼女をつい描いてしまう、たとえ今、新しい誰かと並んで歩いていたとしてもーー。
意図してそう仕向けるというのなら、それはまるで呪いだ。ささやかで頑丈な、呪い。

私は単純な人間だから、そんな呪いを誰かにかけたことがない。無邪気なふりして命の果てまで付きまとうような呪いをかける、なんて器用なことが私にできる訳もない、と思っている。

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でもこの言葉を知った時、少しだけ想像してみた。離れゆくその心のほんの端っこだけでもどうにかして繋ぎ留めたい人がいたとしたら。私はどんな花を選ぶだろう。

なんと、答えが2秒くらいでぽん、と出てしまった。単純な女だ。
私が迷わず選んだ花は、沈丁花であった。

ひまわりのようなエネルギーも、すみれのような儚さも、デイジーのような可愛らしさも、ラナンキュラスのような気品もない、沈丁花。
自分で選んでおきながら、地味過ぎない?と自問する。

まず、ジンチョウゲという響きからして『花らしさ』に欠けている。かけ離れているくらいだ。ジンチョウゲて。ちゃんと『花』と付いてるのに花らしくない。これは一体どういうことだ。
そうだ、せっかくの『花』を『ゲ』と読んでしまったのが良くなかったのではなかろうか。『カ』と読んであげればよかったものを。
『ジンチョウカ』
それでもまだ、可憐に成り切れないでいる。
そうか『ジン』か。『ジン』が強すぎるのか。それなら『沈』を『ジン』ではなく『チン』と読ませれば、少しは雰囲気も和らぐのでは。
『チンチョウカ』
少しは可愛げが出たか。急に安っぽさが増した気がするのは気のせいだろうか。

花びらも華やかではない、名前も愛らしくはないこの花を選ぶのには訳がある。

ーー香りだ。

あの香りのせい。凛と立つような、目の覚めるようなあの香りだけが、この花を特別にしている。それはもう、群を抜いて。他の花々を置き去りにして。

寒い季節だ。11月、12月、1月と階段を降りていくように寒くなり、最下段の2月にこの花は香る。ぴんと張る澄み切った空気に似合うあの香り。それが沈丁花だ。

そうなると、『沈む』という漢字も思わず唸りたくなるほどにしっくり来るしーー『丁』は何だ、調べてみると 釘を形取ったもので、そこから「安定する」という意味をもった漢字らしいーー背骨を真っ直ぐに立てて前を見据えるようなあの香りにぴったりの名前だ。
名前の響きに文句をつけて手当り次第にいじったことを申し訳なく思う。貴方は紛れもなく沈丁花ジンチョウゲだ。

私はぴた、と立ち止まった。
あの言葉。

「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」

あれは香りのことを言っているのではないだろうか。花びらや色彩ではなく、香りのことを言っている。
見かけなくとも視界に入らずとも、漂ってくる花の香り。無遠慮に無意識に鼻腔をこすり上げながら、いとも簡単に脳の中に侵入し充満していく。
思わず振り返るだろう。思わず探してしまうかもしれない。花の姿、いや、昔のあの人の気配を。

あぁ、これは確かに呪いだ。香りは呪いだ。

でもきっと恋なんて最初から呪いなのだ、と思いませんか?
微熱のように浮かされながらも、這うような執念で繋ぎ留めようとして。でもその呪いごといじらしく可愛らしいなと思う。まるで、花のように。


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沈丁花の香りが好きで、ずっと香水を探している。
調べると、沈丁花は、花や根に強い毒性があり、精油として抽出、生産できないとか。 
なので、香水としての沈丁花は、人工で再現した香料が使われるそう。 スズランとレモンを足したりすると近くなる、などと書かれている。
そのせいか、香水はいくつか見つかっても、レビューを覗くと、甘すぎるとか、程遠いなどの不評もあった。
長旅になりそうだ。

今はこちらを使っている。

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つけた直後は凛としていてとても好き。時が経つに連れ、柔らかく甘く、少し『和』的な芳香になってくる。それが好きな方には人気だろう。私はもう少しすっきりとしたタイプのものを探し続けてみたいと思う。

将来、庭に沈丁花を植えたいなどと思ったこともあったが、密かに毒を隠し持つあの香りが毎年充満したら、それこそ夫は呪いにかかってしまうかもしれない。私が早く死んだりしたら、彼は毎年、冬に縛られたりしないだろうか。庭の沈丁花計画は一旦保留だ。

こんなことを考えてしまうあたり、やはり私は、呪いをかけるほど純粋ではなく、実に雑多な女なのだと思う。


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確か私は今回、誕生日プレゼントやら長男との時間やらについて書こうとしていたはずだが、気づいたら呪いについて書いていた。書き始めるときに、ふと川端康成を思い出してしまったのだから、しょうがない。


◆本日の花言葉
バラ✳愛らしい
デンファレ✳美人
スターチス✳上品



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〜 #お花の定期便 とは、毎月第2、第4木曜日に湖嶋家に届くサブスクの花々を眺めながら、取り留めようもない独り言を垂れ流すだけのエッセイです〜

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