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覚悟の黄色が揺れるとき

マザー・テレサだ……。
私の視線は、彼女の顔にぴたりと吸い付き、離れられなかった。

目の辺りの彫りの深い骨格、朝黒く硬さを帯びた手の甲、穏やかな眼差しの中に潜む強さ。
静静と近づいてきたその女性は、ゆっくりと私の手を取った。
まぶたに刻み込まれた幾重ものしわが、彼女の慈悲深さを示している。
薄暗い部屋の中に、彼女の頭部を覆うヒジャブの鮮やかな黄色が浮かび上がった。

何万キロも離れたインドで、とうの昔にこの世を去った彼女が、ここインドネシアのバリ島に存在するはずはないのだが、それでも目の前に佇んでいるのはまさにマザー・テレサだった。

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「カンパーイ!」

前夜の同じ頃、私は夫に連れられて何の店だかよく分からない店の前に座っていた。閉まった店先の階段や床に座り込む若者達のグループが、周りにも結構いた。
尻の下のひんやりと滑らかな白いタイルは、それだけが取り柄かのように所々欠けたりひび割れたりしていた。私を含むこの一つの輪には、見知らぬ顔ばかりが並んでいたが、甲高い声で笑い早口で喋りまくる夫の姿を見るに、それが彼の大切な仲間たちだということが認識できた。
彼の高揚感が隣に座る私の体にまで沁みてゆく。高速で流れ続けるインドネシア語に身を委ねながら、深い藍色にぽっかりと浮かぶ白い月を眺めていた。

次にこの人がこんなにも愛する友人たちと笑い合う日はいつになるんだろう。

数日前にバリ島の宗教事務所で結婚した私達は、数日後には日本に向けて飛び立つ予定だった。
若い二人、短い交際期間、国際結婚、異宗教、それらすべてに一切の反対をしなかった私の親が唯一出した条件が、「日本に住むこと」だったのだ。

こんなにも明るく笑うこの人から、この仲間達を剥ぎ取って、愛する家族を剥ぎ取って、生まれ育ったこの地を剥ぎ取って、たった一人遠く遠い日本へと連れ去る。その未来には、孤独と暗闇が待っている気がして、その予感を慌ててかき消した。

「ドウゾー!カンパーイ!」

ぎこちない日本語と日に焼けた笑顔の輪と、差し出されたショットグラスにハッとする。幾人もの輪の中を、たった一つのグラスがまわる。ちら、と隣のグループに目をやると、そこでも一つのグラスがせわしなくまわっているようだった。

私は恐る恐るグラスを口へと運ぶ。アラックと呼ばれるこのココナッツの蒸留酒には、少量のスプライトと脳に響く波の音、そして湿気た夜風の肌触りが、絶妙な配合でミックスされていた。
夫の友人が、親指をぐっと立てて「美味しい?」と私の顔を覗き込む。ぐっと親指を立てて頷く私に、彼のガールフレンドが優しく微笑んだ。

あの黒い色をした不安が、足元に押し寄せてくる。何度も何度も、このバリ島クタビーチのさざ波のように。

私一人の愛情で、彼を満たしていけるのだろうか。この愛情深い人達全員を乗せた、この島一つ分以上の愛情を、私は注ぎ続けられるだろうか。
さざ波に足元の砂が少しずつさらわれて、うまく立っていられない。

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心もとない薄暗いランプが、ゆらんと揺れた。

今、私の目の前にいるのは、隣のジャワ島からはるばる海を渡って私達を見送りに来た夫の両親だった。私の義父となった痩せた男性がゆさゆさとぶら下げているのは大きなダンボール。きっと餞別の品だろう。その段ボール箱に書かれてあるPELANGIというインドネシア語を見ていた。

義両親の周りには、何人か子供たちがまとわりついていた。どことなく、夫の顔つきに似ているような子もいれば似つかぬ子もいる。

「どの子が本当の弟妹か、本人たちの前で訊かないでね。血がつながってるかどうかは訊かないでね。」

数日前の夫の声が耳元で鳴った。
六人の子供に恵まれた義両親には、十人以上の子供がいる。
親戚から引き受けた子、育児放棄された近所の子、物心ついた子から、双子の乳児まで。食べさせ、学校に入れ、卒業したら親戚が引取りに来たり、そのすぐ後に別の子が入って来たりしたので、正確な人数は分からない。
六人の子供のうち自分だけが男なんだという夫が、弟の話をし始め私の目が点になった夜、彼はそんな家の事情を話してくれたのだった。

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あれから十一年経った。

病気を患っていた義母は、危険な状態になり、少しだけ回復し、また危険な状態になり、を繰り返した。
妹達からの涙声の国際電話が鳴ると、私はすぐさま航空券を手配して、夫はすぐさま帰国した。夫の顔を見ると義母はいつも回復した。一週間ほど経って我が家へ戻る夫はいつも、笑顔で元気になった義母の様子を話すのだった。


十一月のある日、かかってきた電話の向こうの義母の声はもう半分空から聴こえていた。
彼女はかすれるささやき声でずっとずっと夫の名だけを呼んだ。
夫は時々唇を噛みながら、ぎこちない笑顔でただただ返事をした。
夫の辛い笑みに私が泣くことは許されない気がして、私は嗚咽を押し込めひたすら彼の肩を撫でていた。

成田空港へ向けて家を出ようとする彼のスマホが、またあの音に鳴った。夫の足がぴたりと止まる。点滅を繰り返すスマホの画面を見つめる横顔は無表情だった。彼は親指で静かに画面をスライドし、そっと耳にあてる。


間に合わなかった。

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何人産もうと育てようと、彼女が命を分けた男は彼だけだった。
夫と義母の間にははっきりと特別な、太い太い紐のようなものが見えていた。幾重にもねじられ頑丈に絡み合う太い紐が。
亡くなる数時間前の声にならないあの声を、空に浮かび上がろうとするからだを必死に地に押さえつけながら息子の名を呼び続けるあの声を、誰もが涙を押し殺しながら聞いていた。
彼女のそばには十数人の子供達や孫達が、夫のそばには私が、誰一人としてこの二人の間に割込もうとせず黙って見ていた、あの太い紐を。まるで、へその緒のようなあの太い紐を。

私はその日、胸の中のある部屋の扉を初めて開けた。それまでその存在も知らずにきたその部屋の重い扉を一人で開けた。
後悔がぎっしり詰まった、重たく冷たい鉛のような空間。私は、一日の大半をその部屋で過ごすようになった。時々、その闇の中で、何かがさらりと揺れた気がした。

座り込む私の脳裏に、いくつもの映像が映し出されていった。
はじめて私達の長男を抱いた時の義母の満たされた伏し目、彼を全身でくるんで優しく歌うインドネシアの童謡、産後げっそりと痩せ細った私の体を見て夫の肩を小突いた険しい顔、夜遅くに洗い物をする私に向けた慈悲深い眉間のしわ。
遠慮がちに呼んだ「Ibu(お母さん)」。さっと振り向き笑顔が咲いた「Apa(なぁに)?」。
あぁ、あの時だ。さらりとヒジャブの黄色が揺れたんだ。

心が通じていれば離れてても大丈夫だなんて言うけれど、もっと側にいるべきだった。
心がこもっていれば言葉なんてと言うけれど、もっと言葉で伝えるべきだった。
形なんてと言うけれど、もっと形にして示すべきだった。もっともっともっと。


 


とっくに遠くへいってしまったあの人に想いを伝えたくて、私は今日もインドネシア語のテキストを開く。もう会話することの出来ないあの人と会話したくて、私は今日も辞書を引く。

PELANGI。結婚したばかりの私達を送り出したあの大きな段ボール箱に書かれていたインドネシア語。辞書の薄っぺらいページを右方向に指でなぞる。「虹」という語に目が停まった。

大きく長い虹に座る義母が見える。あの鮮やかなヒジャブがなびいている。今度は大きな声で、空の上まで聞こえるような大声で「Ibu!」とはっきり呼ぶから、あの日のように「Apa?」と笑顔で振り向いてほしい。
今度こそ、想いをちゃんと形にして手渡すから。

家族の反対を押し切り駆け落ちし、島を渡りイスラム教へ改宗した義母はもう酒を飲まない。
私も妊娠と授乳を三人分繰り返したら、酒から遠ざかったのでちょうどいい。
私達には、夜のアラックは似合わない。
朝のコーヒーがいいかも知れない。
Ibuの大好きだったコーヒー、そうだ、よく飲んでたあの甘い甘いやつで語り合おう。もう糖尿病を気にしなくてもいいんだから。

天も地も晴れ渡る、早朝がいい。
朝日の中で、鳥のさえずりを聴きながら、とびきり甘ったるい湯気を揺らすのがいい。


塞ぎこむ日には、いつも私の前でなびいた黄色。
Ibuの覚悟の色した、あのヒジャブ。
いつも揺らしてくれていた。

とても良く似合ってる。
前から思っていた。ずっと前から。
今度はちゃんと伝えるから。
毎日、練習してるんだから。

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ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!