上がれば下がるもの

「祭りのあと」という言葉はよくできていて、みんなどこかで虚無感というものを味わったことがちゃんとあるんだと安心させてもらえる。


それくらい「〇〇ロス」というものによって喰らう虚無感のダメージは大きいものだと思う。それくらい充実した時間をすごせたことの嬉しさがあるとその一方でそれがないことによる虚しさがどーんと押し寄せてくる。

それをやり過ごすためには、考えないようにするくらい予定を詰めるか、もしくは酒などで酔ってごまかして寝てしまうのもいいかもしれない。


基本的に「盛り上がりすぎない」という解決策で対応するようにしている。テンションが上がりすぎてあとで揺れ戻しのダメージを喰らうってことなどいくらか人生を生きてれば、それはわかりきったことなので、冷静に気持ちを落ち着かせておくことであとでドーンと落ちてしまわぬようにしておく。

それはつまり「過剰に嬉しがらない」という方法であり、見えている痛みを避けるためにとる、かなり大人な方法であるとも言える。


ただライブとかで盛り上がってしまったり、気合を入れたイベントが終わりを迎えたり、大好きなドラマが最高の感動を残して終わる、なんていう状態によって簡単に「〇〇ロス」という状態は引き起こされて虚無に襲われる。

そういうことが起こるたびに「う、うっかりしてた・・・!」と、のめり込みすぎた自分に対して反省し、大人な対応を覚えてきたような気がする。


しかし、人間はハレの日もあればケの日もあるように、日常があって非日常のグラデーションを味わうといった性質があるように思う。味わうべき幸せをいっぱいに味わえば、あとで痛みが伴うとはわかっちゃいるんだけど、でもその瞬間の嬉しさを十分に味わわないでいいのかよ!っていうのも感情。


ああ、そうだ。なにか似ていると思ったら、あの丹波の中華の名店ハルピンの四川麻辣豆腐を食べるときに、超絶辛くて旨いのだが、その辛さで次の日にお腹が辛くて、お尻が辛くて、「やめときゃよかったぁぁぁぁ」っていうのと似ている気がする。いやちょっと違うか。いや、うん、違う気がする。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。