草原でロウソク灯しブログかく

今夜の寝床はゲル。モンゴルらしい感じになってきた。

道中は、3時間近くは幹線道路がアスファルトで整備されているが、それ以外は草原の中に轍ができているので、それに沿って進む。


中盤はガイドさんをお願いしていて、彼が運転をしてくれるので目的地には安心して任せられているが、これはまだいまのところ、ガイドがないとほぼなんともならなそうな感じだ。

なんせ文字が難解すぎてどうしようもない。ロシア語と同じ文字であるが、キリル文字が難しくて、またアルファベットが英語に似ているけれど、少し違うところがまた面倒くさい。

CがSになるのはなんとなく大丈夫でも、PはRだし、HはNで、Nのひっくり返ったやつがIで。。。と、もうこんがらがるし、「д」「ж」なんかはもう英語すらろくにわかっていない僕からすると暗号でしかない。暗号。

街中にこの暗号があって、もうたいへん。ひたすら読めないし、伝えられない。ウランバートルだと英語がある程度わかる人が多いし、ときどき日本語もわかる人がけっこういて本当に助かるけど、英語も日本語もできない人も普通にいるので、これはけっこうどうしたものかなと困ってしまう。

文化を超えてきた先人たちにあらためて尊敬の念を持つ気持ちだ。


それはそうと、ここ到着してから今日で4日目になるけれど、紹介してもらえた友人のおかげもあって、毎日違うモンゴル人の人たちにいろいろ話を聞かせてもらえていて、とくにモンゴルの歴史がとても興味深い。

マルコポーロがモンゴル帝国のフビライハンに「黄金の国があるんです」と伝えたばかりに、そんな国は征服するしかあるまいってこともあって、日本に攻めてきたのは1280年あたりのこと。2回にわたる元からの侵略が、神風と呼ばれる大嵐によって、大きな損害を受けたモンゴル帝国と高麗の連合軍は撤退を余儀なくされたというふうに伝わっている。


ネットでこんなことを書いてあったけど、なかなかエグいものである。



文永11年(1274年)10月3日に高麗の合浦(がっぽ)をたった元・高麗軍は10月5日に対馬、14日に壱岐をおそい19日に博多湾に集結しました。対馬・壱岐の人々のほとんどは殺され、わずかに生き残った人(主に女性)は手に穴をあけられ、そこをひもで通して船のへりに鎖(くさり)のように結ばれたと言われています。こうすれば日本軍が矢を撃てないからです。このような蒙古の残虐な行為は世界の至る所で行われ大変に恐れられていました。


あ、悪魔かな・・・。


なんとも残虐な行為のもとで、恐怖をもって世の中を支配しようとして、実際にモンゴル帝国は本当に大きな力をもっていたものの、それが1600年後半になって、ヌルハチが後金(のちの清)を建国してモンゴル帝国断絶していくまでに、どんなことがあったんだろうといろいろと教えてもらっている。


帝国が瓦解していった原因の主なものは権力争いらしい。


チンギスハーンは各地を攻め滅ぼし、そこで得たものはすべて自分のものになるってわけで、各地に子供がいっぱいいたようだ。資金も沢山あるし、子供がいても子育てに困りなどはしないのが、のちの世になってから、各人がいろいろと言い出す理由が生まれてくるわけだ。


「おい、お前はチンギスハーンの血を継いでいるわけだから、お前がハーンになるべきじゃないか」

「私はチンギスハーンの血を継いでいるのだから、私こそがハーンなのだ」


それぞれの部族でそういう「チンギスハーンの息子」を名乗る継承者としての争いが生まれ、各地で戦いは生まれ、それぞれに伝わる残虐さで争って、各地でその恨みや憎しみを生み、それぞれが悲しみとか怒りとか悔しさで、それぞれの人生を終えていったに違いない。

そうした中で各部族同士が争っている中で、ひとつのモンゴルの部族と結託し、女真族をまとめたヌルハチがモンゴル民族のうちハルハ族を制圧して、それからその当時に強い力を持っていたオイラト族も東ヨーロッパの方まで追いやって、新しい国として制圧したというわけである。


270年ほど清が続いたことを考えれば、日本では徳川幕府のようなもので、それが1911年に辛亥革命が起こるまではずっと国としてあったわけで、歴史を一皮めくれば、まあまあ残虐な話の裏に歴史は築かれていて、その恨みが簡単に消え去っているかというと、そうでもないかもしれないなとも思う。


いまは中華人民共和国という名前だが、満州族が中心であった清国の腐敗の対明で、漢民族がクーデターを起こして勝ち取ったというもので、大陸での部族争いがずーっと続いているんだということをリアルに感じた。

しかも、わりとこの漢民族がいろいろと他の自治区で残虐な行為をしているという件はそこらで聞く機会があって、チベットやウイグル自治区などでも凄惨な行為が行われていると聞くのだけれども、漢民族もまた、これまでの歴史の中で残虐行為に晒される機会があって積年の怨みのなかで、そうした行為も生まれていくのだろうなと想像される。


だって、船体に生きたままの人間の手を貫いて縛り付けて、それで弓矢を射てなくするような行為をしつつ、各地の人々を戦慄させながら歴史を作ってきたわけだから、それがお互いの民族に「やった・やられた」という禍根をもって根っこに尊敬できない気持ちを抱いていることは間違いないと思う。


バガヴァッド・ギーターというインドの古典であるマハーバーラタに伝わる物語を読んでいるんだけど、マハーバーラタという古典もまた、結局は王族の争いごとであって、それがどうして生まれたのかってことと、それがどのようにして血生臭い戦争の中で浄化されていくのかを描いたものだ。

生み出した業は、そうしてその時期には違う形で栄光を見せたとしても、連なった歴史の中では痛みを伴って元に戻されるということがあるのだろう。


リアルな話を伺いつつ、いま自分が生きる上で生み出す業を省みるような、とても学び深い歴史の勉強をしている。


おっと、そろそろタイムアップだ。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。