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シベリウス:《樹の組曲》に見る楽譜の歴史―初版からシベリウス全集版まで―

はじめに

 ジャン・シベリウス《樹の組曲》というピアノ曲をご存知でしょうか?5曲からなる作品で、その全てにひとつひとつ、樹木の名前が添えられています。中でも第5番〈樅の木〉は日本でもプロ・アマ問わず広く演奏される作品で、お弾きになったことがある方も多いのではないでしょうか?短いながらとてもドラマチックな音楽ですよね。7つある交響曲や交響詩《フィンランディア》で有名なシベリウスですが、ピアノ弾きにとってのシベリウスはこの〈樅の木〉の作曲家と思っている方も少なくないはず。日本ではピアニストの舘野泉さんが本作品を録音したレコードが大きなヒットとなり、1976年に全音楽譜出版社から楽譜がリリースされて以降、広く知られるようになりました。

 さて、この組曲が書かれたのは1914年、第1次世界大戦が勃発した直後でした。戦中の混乱もあり、その楽譜は様々な出版社のあいだを渡り歩き、最終的に5曲すべてが出版されたのは1922年、8年もの時間がかかってしまいました。その間に5作品の手稿譜のありかはバラバラになり、そのうちのいくつかは既に紛失してしまっています。こうしたどさくさの中で出版された楽譜には、これまでの研究により多くの問題を抱えていることが分かっています。それ以降は2008年にブライトコプフ&ヘルテル社からシベリウス全集版がリリースされるまで、大幅に見直されることもありませんでした。そして前述した1976年刊行の全音版も、この楽譜に準拠したものとなっています。
 ここでは、この複雑な《樹の組曲》の楽譜成立までの歴史をできる限りわかり安く紐解きながら、シベリウス全集版との比較から、広く使用されている版における主だった「間違い」のいくつかを紹介していこうと思います。

作品誕生から楽譜出版まで

 1914年、シベリウスは交響曲第5番を構想する傍ら、この《樹の組曲》をフィンランドの出版社、A.E.リンドグレーン社のために書き下ろしました。しかし第1次世界大戦の不安定な状況下、出版は見送られました。そのまま1919年にはリンドグレーン本人が亡くなり、会社も消滅してしまいます。それに伴って《樹の組曲》の版権は全て、同じくフィンランドの出版社、R.E.ヴェスタールンド社に売却されました。シベリウスはここで第5番〈樅の木〉を大幅に書き換えて出版社に楽譜を直送しています。これが現在広く演奏されている〈樅の木〉となりました。

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—第5番〈樅の木〉初稿。1919年に書き換えられる前は、こういう音楽でした。―

 さて、R.E.ヴェスタールンド社に渡った《樹の組曲》は、それでも出版の目途が立たないまま、翌年1920年にその版権を売却してしまいます。第1番はロンドンのアウグナー社へ、第2番から第4番はロンドンのJ.&W.チェスター社へ。第5番だけはヴェスタールンド社が持ち続けていました。
 翌年の1921年、アウグナー社とチェスター社はついに出版に乗り出します。しかし、この出版の過程にはシベリウス本人は全く関わった形跡がなく、日記にもその過程が記されていません。元となった楽譜も、信頼性の低い写譜屋の書き写しを使用していました。恐らく、「新作」ではない上に作曲家とのやり取りも難しい、さしたる大作でもないこの作品に、そこまでの労力を割こうとは考えなかったのではないでしょうか。いずれにしても、1921年に出版された第1番~第4番は、実に多くの誤りを含んでいました。これを「第1版」とします。2008年刊行の『シベリウス全集版』においてはこの第1版を「シベリウスの意図が全く反映されていないもの」と断じて、情報源から完全に取り除いています。
 翌年の1922年、アウグナー社とチェスター社、並びにヴェスタールンド社は自身が出版権を持たない全ての国々への販売経路を設けるために、デンマークの北欧最大の出版社、ウィルヘルム・ハンセン社に売却します。これにより、ウィルヘルム・ハンセン社は自社製の新たな楽譜の作成に当たりました。
 第1版とは違う、信頼性の高い浄書譜を用いたこの版は、シベリウスの助言も多少受けた形跡があり、信頼に足るものではあります。しかし、完成したこの楽譜を目にしたシベリウスはウィルヘルム・ハンセン社に対し、「(とりわけ第5番)に見過ごせない誤りがある、修正を求める」との手紙を送っています。しかし、ウィルヘルム・ハンセン社は大きな修正もなく、現在までこの楽譜のリリースは続いています。これを「第2版」とします。

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 さて、日本で最も流通している全音楽譜出版社の『シベリウス・ピアノアルバム』に収録されているのは、どの版なのでしょう?それは以下のようになります。

第1番、第5番:第2版(ウィルヘルム・ハンセン社、1922)
第2番~第4番:第1版(チェスター社、1921)

舘野泉氏が記した『シベリウス・ピアノアルバム』の序文「はじめに」にはこうあります。

このアルバムはハンセン社Twelve Selected Pieces by Sibeliusを基にして編まれた。このハンセン版とそっくり同じ内容のものを私はイギリスのチェスター版で1952年に手に入れ、それは私の少年の日の、貴重な宝であった。―(中略)―普通は1曲ずつのピース物としてバラバラに売られている作品75の《樹の組曲》から3曲もまとめて取り入れられていることが、このアルバムの貴重な特色だった。今回の全音版ではそれに残りの2曲を加えて、「樹の組曲」全5曲が1冊のあるアルバムの中にまとめられるようにした。(太字強調は筆者によるもの)

 この文章には多少混乱を招くところがあることが分かります。「ハンセン社の」『Twelves Selected Pieces by Sibelius』と記されてはいるものの、ここに収録されているのはチェスター社で出版された1921年の第1版のものであり、現在でも同名の書名でチェスター社から出版されています。だからこそ、この中にあるのは第1番と第5番を除いた「3曲がまとめて取り入れられている」のです。そして、加えられた「残りの2曲」こそがハンセン社で作成された第2版という事になるのです。

 いずれにせよ、ここには『シベリウス全集版』においては「シベリウスの意図が全く反映されていないもの」として情報源から完全に除外した第1版と、シベリウス本人が「見過ごせない過ち」がそのままにしてある第5番がそのまま収録されているということになります。

全音収録版とシベリウス全集版との相違点

 さて、シベリウスがハンセン社への手紙の上で指摘したという過ちや、第2番~第4番の第1版に存在するミスは、一体どんなものだったのでしょうか。目立った点を指摘していきたいと思います。
 細かな点で言えば、スラーやテヌート、クレッシェンドなどの表記の欠落が数多く見られますが、大きく問題となるのはやはり「音そのものの間違い」や、演奏の表層に関わるテンポの変化、重要な箇所におけるダイナミクスの欠落などではないでしょうか。それぞれの楽譜の価値を損なわないよう、気を付けながら紹介していきたいと思います。

第2番〈孤独な松の木〉

8小節目、左手
 チェスター版では左手のEから始まる上昇音型が、符点8分と16分音符のリズムで記されていますが、全集版では8分音符二つに修正されています。このリズムを持つ箇所はここしかなく、同じ音型を持つ16小節目は8分音符ふたつで記されています。

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24小節目、右手
 シベリウス全集版では一音目から2音目のDにタイがかかっています。よく見てみると27小節目、28小節目にも現れる素早い上昇音型も、頭拍で音を鳴らしてはおらず、舞い上がるような表情を持たせています。14小節目も同様の効果を狙っていたのではないでしょうか。

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28小節目、右手
 上昇音型の2ブロック目の右手、最初の音が、チェスター版ではGとBbの三度で書かれていますが、全集版では修正されています。直前の左手ですでにGは奏されているので、これは単純に誤りと見て良いでしょう。あまりにも弾きづらすぎますし、効果もありません。

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第3番〈はこやなぎ〉

15小節目、左手
 チェスター版の左手の一音目にはアルペジオ記号が欠落しています。同音型がある41小節目では付されているのを見ると、やはりこれも単純な欠落ではないでしょうか。2小節前から始まるフレージングの頂点として、たとえ書かれていなくても、私はここは幅広くアルペジオで弾いてしまいたくなります。全集版で確認出来て安心していました笑
 よく見ると右手のスラーも若干の違いがあります。この手の差異は本当にたくさん見ることができます。

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第4番〈白樺〉

68小節目、テンポ表記
 〈白樺〉では、後半46小節目から始まるミステリオーソでは、風にそよぐ白樺の騒めきの如く、揺れる音型がラレンタンドとa tempoを繰り返しながら進んで行くのですが、68小節目の最後の箇所のみ、a tempoが欠落しています。これによって、最後の白樺のそよぎも爽やかに去っていくようですね。

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第5番〈樅の木〉

19小節目、右手2拍目裏
 ハンセン版ではAの音が欠けています。これも恐らく単純な欠落です。

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40小節目、左手
 左手の5音目、6音目の音がハンセン版ではA, Gと続きますが、全集版ではG, F♯と修正されています。この変更は大きな変化をもたらします。ハンセン版の表記では確かに右手が奏する和音の構成音とも一致するため、一見問題はないのですが、続くE, Dへの流れは失われます。全集版を眺めてみると、この修正によって、フェルマータのついたD♯まで4音づつのグループで分けられることに気が付きます。E, A, F♯, B/G, F♯, E, D/C♯, G, F♯, E/D♯―と全体のフォルムが明確になり、推進力が生まれます。
 シベリウスが指摘する第5番の「見過ごせない過ち」は、私見ではこの点にあるのではないか、と考えています。

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40小節目、後半
 同じく40小節目のカデンツァ風のパッセージの後半、前奏のリフレインとなる直前のコンマの前の上昇音型において、ハンセン版ではデクレッシェンドが欠落しています。この修正による変化も大きく、ハンセン版ではあたかもコンマを跨ぐ際に突然ピアノにダイナミクスを落とすようなニュアンスが想像されますが、ここにデクレッシェンドが置かれることによって、一音目のためらいがちなテヌートから、この上昇音型が消え入るかのように儚げに舞い上がり、再び諦観に満ちた前奏部へと戻っていくという、実に詩的な表現を思わせてくれます。小さいながら重要な変更点だと感じています。

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