ちびっこ戦争 ―勝ちと勝ち—
5年1組の仲間と一緒に、僕はスーパーの屋上で遊んでいた。
家の近所にあるスーパーで、「東武ストア」から「マイン」に変わったばかりだったが、遊園地はそのまま残っていた。
日曜日にはステージでヒーローショーなどが行われるため混むのだが、この日は平日の午後だったので、ほとんど貸切状態だった。
四人でひとしきり激しい遊びをし終え、誰が言い出すでもなく休憩タイムに突入した。
二人の友達はステージのへりに座っておしゃべりを始め、僕はもう一人の友達とフェンスに寄りかかった。
オレンジがかった陽を受ける遊具は、どれも静止していた。
せっかく空いているのに使わないのはもったいないような気がして、僕はその場を離れ、スプリングアニマルが並ぶエリアに向かった。
動物たちは円になり、それぞれがその中心を見つめている。
僕はロバの背中に跨って、耳から突き出たバーを摑み、グワングワン動かした。
揺れる視界に、五、六人の人影が映った。店内につづくひらきっぱなしのドアから、こちらに出てきたらしい。
不穏な空気を感じながらも、僕はロバをグワングワンさせつづけた。
僕たちと同じくらいの少年たちで、周りのスプリングアニマルが埋まっていく。
一番背が高く、横幅もある一人が、何も言わずに僕からロバを奪い取ろうと身体で押してきた。
僕はロバの耳を放さなかった。
「どけよ」
言いながら、そのでかい奴は僕を押しのけた。
こいつ、手を出しやがった……!
心は瞬間的に怒りで満たされ、僕は体格差のことなど忘れて、でかい奴の顔目がけて右拳を突き上げた。
拳は顎をかすめて首に命中した。しかし、ダメージはまったくないようだった。
でかい奴は僕の胸ぐらを摑み、足をかけてきた。当時から軽量級だった僕は、あっけなく地面に叩きつけられた。
倍近い体重にのしかかられ、僕は身動きができなくなっていた。
だが、こっちも一人ではない。いまに援軍が来て、このホールド状態から解いてくれることだろう。
僕は首を回して友達のほうに視線を飛ばした。
えーーーーーーーーーー!
思わず心の中で叫んだ。
友達はみな、これぞ「見て見ぬふり」といったふうに、僕とは無関係の人間を演じているのだった。
正面に戻した視界の中で、拳が振り下ろされる。
額の左側に衝撃が発生し、画面が揺れた。
拳が引き戻される。
背景の空は夕焼けていた。
でかい奴は僕の額を殴った。何度も殴った。
しかし不思議なほど、痛みは感じなかった。
やがて満足したらしく、でかい奴は立ち上がり、僕を見下ろして言った。
「F小の六年だ。文句あったら来いよ」
なんだか自分が、立ち入ってはいけない領域に踏み込んでしまったような感覚をおぼえた。
長めの坊主頭の、いかにも子分といった風貌の奴が、でかい奴の隣で笑っていた。
F小の六年たちは楽しげに、店内に向かって歩いていく。
おい、待てよ。遊んで行けよ。そのためにオレを殴ったんだろうが……。
その想いを瞬時に言語化することができず、僕はただ目を剥いて、奴らの後ろ姿を見つめていた。
「だ、大丈夫か?」
友達が駆け寄ってきた。
みな心配そうに僕の顔を覗き込んできたが、誰の目も見ることができなかった。
こてんぱんにやられてしまったみじめな自分を見られる恥ずかしさもあったが、原因の大部分は、不信感だった。
どうして、黙って見てられたんだよ……。
「今日は、帰るよ」
僕は起き上がり、服をはたくと、店内につづくドアに向かって歩いた。
あれだけ暴れていたスプリングアニマルたちも、すっかり沈黙していた。
「バイバイ」を言うことも、言われることもなかった。
家に向かって歩道を歩きながら、ケンシロウみたいに強かったらなあ、と思った。
もしも相手よりも圧倒的に強ければ、あいつらを叩きのめし、自分の遊び場所を守ることができたのだ。いや、僕がケンシロウだったら、構えただけで、あいつらは逃げ出していたことだろう。
だが、現実は違った。自分はまるで、「風のヒューイ」だった。ラオウに一撃でやられてしまった、風のヒューイだ。
待てよ。そうだとしたら、それほど恥ずかしいことじゃないかもしれない。ラオウに勝てるキャラクターなんて、ケンシロウくらいなのだから。
それから僕は、あのでかい奴を、ラオウと呼ぶことにした。
家に帰ると、母に事情を聴かれた。
左眉の上に、ツノみたいなたんこぶができていたのだ。
手当をしてもらいながら、僕はあったことをそのまま話した。
一応学校に報告しておくと母が言うので、僕はやめてほしいと頼み込んだ。
恥ずかしい話だが、報復を恐れたのだ。
僕の通う西小からF小に苦情が入れば、ラオウは何かしらの罰を与えられるのかもしれない。しかしそのあと、「あいつ、大人に言いつけやがったな!」と僕を血眼になって捜すに違いない。そうなれば、僕は安心して遊べなくなってしまうだろう。
翌朝、痛みで熟睡できなかったこともあり、気分は最悪だった。
鏡を見ると、たんこぶはまったく小さくなっておらず、瞼に青タンまでできていた。ほんとに漫画みたいになるんだな、と少し感動してしまった。
視界を狭めている部分に鬱陶しさを感じながら、僕は学校に向かって歩いた。
足取りだけでなく、気も重かった。ケガについてあれやこれやと訊かれるだろうし、そうなれば、みじめな敗北の顛末を話さなければならなくなってしまう。何より、昨日いっしょにいた友達と、どう向き合えばいいのかわからない。
学校に着いてしまった。
意外なことに、担任の先生は何も訊いてこなかった。
いま思えば、母が先生に事情を説明していたとしか考えられないが、当時の僕はまったく気づいていなかった。
妙なことに、クラスメイトたちも、直接訊いてはこなかった。こちらを見てひそひそと話しているのには気づいたが、決して馬鹿にするような響きはなく、どちらかというと興奮しているようだった。
聞き耳を立てているうちに、状況を把握することができた。
昨日、あの場にいた友達が、みんなに話してくれたのだ。
たった一人で他校の上級生の集団に立ち向かった、英雄として。
三人にいだいてしまった不信感は感謝の念に変わり、わだかまりは一瞬で解けた。
事情に察しがつくと、クラスメイトたちの、特に女子の熱い視線が感じられるようになった。
「あいつ、やるじゃん」的なものや「見直しちゃったかも」的なものだ。
ああ、これが、主役になるということか。
こんなふうに見てもらえるのなら、殴られるのも悪くないな。
僕は本気でそう思った。
渡り廊下を気分よく歩いているとき、ふと恐ろしいことに気がついた。
もしもラオウが下級生だったとしたら、自分は笑い者になっていただろう。
いくら図体がでかいからといって、下級生にぶちのめされた奴という烙印を押されていたに違いない。
ざまあみろ、と僕は胸の中でラオウに言った。
お前は勝ったと思っているかもしれない。じっさい勝ったのだろう。だが残念ながらお前は六年だった。四年ではなく六年だった。こっちの状況をよく見てみろ。オレも、勝ちだ。はははははは!
しかし、僕に向けられる視線の熱さは、持続力を持たなかった。
わずか数日で、青タンといっしょに消え去った。
冬になり、その寒さが本格化した頃、僕たちはスケートリンクに遊びにいくようになっていた。
学校がない日曜日、それぞれ親から小遣いをもらって、電車で数駅離れた川越市まで行った。
アイススケート自体にはそれほど魅了されなかったのだが、施設内にあるゲームコーナーや、昼食のカップヌードル・カレー味が楽しみだった。
着いてすぐにある程度滑り、僕たちはゲームコーナーで遊んでいた。
小遣いを使い切ってしまわないよう、友達のプレイを観戦したり、なるべく長く遊べるゲームを選んだりと、それぞれが欲望を制御していた。
昼になり、カップヌードルを食べ、またしばらくゲームに没頭した。
とうとう帰りの電車賃の心配をしなければならないほどに、所持金が減ってきた。
ふと冷静になり、僕はゲーム機の席を立った。
このまま終わってしまうのでは、さすがにもったいない。
「ちょっと滑ってくるね」
仲間たちに告げ、リンクに向かった。
足首を捻らないように注意して歩きながら、分厚い手袋をはめる。
そっと氷の上に足をのせ、手摺りを突き放した。
広いリンクには、たくさんの人たちが滑っているが、ぎゅうぎゅうというほどではなかった。
僕はあまりスピードを出さないようにしながら、スケートの感覚を楽しんだ。
後ろから人の気配がしてまもなく、真横に誰かが張りついてきた。
そちらに目を向けた瞬間、僕は息を呑んだ。
「あれ、マインの屋上の」
ラオウの子分は僕の顔を覗き込んで言った。
その奥にはラオウの姿もある。
また大人数で行動しているらしく、あっという間に左右を塞がれた。
最悪だ。なんでよりにもよって、こんなところで出くわさなきゃならないんだ。また一発に対して何発も殴られるのか。いや、一発さえも喰らわせられないかもしれない。しかもいま、仲間は誰も見ていない。「勇気ある反逆」の目撃談を流布してくれることもないから、学校で英雄視される未来もない。くそ、くそ、くそ――!
「やっぱりそうだよな」
子分は言った。しかしその口調は、好意的なものだった。
ラオウが近づいてくる。
「おお、マインの。――元気だった?」
ラオウは嬉しそうに訊いてきた。
なんだ、どうしちゃったんだ……?
「え、うん」
混乱しながら僕は答えた。
「けっこう来るの?」
僕に並走しながらラオウは訊く。
「まあ、たまに」
「そうか。最近オレらもよく来るんだよ。――じゃあまたな!」
ラオウと子分は、スケートが上手いらしく、スイスイと前に進んでいく。
ほかの仲間たちもそのあとにつづく。
取り残された僕は、呆然と足を止め、慣性だけで移動していた。
「何? どうした?」
僕の仲間たちが後ろから駆けつけた。
ゲームは切り上げたらしい。
「F小の六年。マインの屋上で会った」
僕が応えると、仲間たちに緊張が走った。
「マジかよ」
「大変だ……」
友達一人ひとりの顔に目を配りながら、僕は言った。
「でもなんか、何て言うか……いい奴になってたんだ」
え、と洩らし、みな戸惑った。
協議の結果、このまま遊んでも大丈夫なのではないかという結論に至り、僕たちはリンクを滑りつづけた。
何度もラオウたちと顔を合わせたが、やはり威嚇されるようなことはなく、ときには雑談したりもした。
こうして、根拠不明の和解は成立した。
僕は小柄なままだったし、大人の目を気にして仕掛けてこなかったふうにも見えなかった。
いちど打ち負かした相手に興味を失ったのか、ケンカしたあと仲間になる的なあれなのか、真相はわからなかったが、僕は腑に落ちない想いを抱えていた。
あんなふうに話せるなら、マインの屋上で会ったあのとき、一緒に遊べたんじゃないのか? 僕を突き飛ばしたりせず、「貸して」と一言言ってくれたら。
しかし、僕はケンシロウみたいに強くないから、それをラオウにぶつけることはできなかった。
―――――――――
高校生になって、家で不良漫画を読んでいたとき、一つの仮説が立った。
ラオウは、あのセリフを言いたかっただけなのではないだろうか。
――F小の六年だ。文句あったら来いよ――
何かの漫画に出てきたそのセリフに、ラオウは痺れた。どうしても言いたくなった。だがそれを実行するためには相手が必要だった。さらにその瞬間をを見せつけるギャラリーも。ラオウはギャラリーとなる仲間を連れ、学区を越えて探し回った。そしてとうとう、マインの屋上で見つけた。
これなら、僕を打ち負かしたあとすぐに去っていったことも、二度目に会ったときに優しかったことも肯ける。屋上での態度は、遊具が目的ではなかったからだし、スケートリンクで敵意を示さなかったのは、同じ人間に二度あのセリフを使えば、知ってますけど、と言われてしまうからだ。
実際に願望が叶ったとき、ラオウはさぞ嬉しかったことだろう。仲間は触れ回っただろうから、きっと学校でもいい思いをしたに違いない。そう考えると、その部分がイーブンとなってしまい、痛みを受けたぶん、やはり僕が負けたことになる。
自分はあの屋上で、「西小の五年だ」と言うべきだったのだ。そうしておけば、ラオウはただ下級生をシメただけの奴で終わっていただろう。なんなら株を落としていたかもしれない。
取るに足らない後悔に苦笑して、僕は漫画のつづきを読みはじめた。
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