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言語習得は持って生まれた能力か?

私たち人間は、例えば日本人であれば、赤ん坊の頃から日本語を聞いて育ち、自然と日本語を話せるようになります。私の孫は男の子ですが、最近ようやく大好きな「でんしゃ」を言えるようになりました。「ぱん」とか「うまい」とかも言いますが、「まま」はまだ言わず、母親(私の娘)のことを皆がその名前からくる愛称で呼ぶので、孫も「ちゃちゃん」と自分の母親を、その愛称の赤んぼことばで呼びます。

そんな直近の経験もあり、それでなくとも今までの私の常識としては、言葉は「後天的に学び取る能力だ」と思っていました。

ヒューマンアカデミー社の日本語教師養成講座によると、これは1つの説であって、スキナー(行動主義心理学)が代表提唱者なのだそうです。スキナーはこどもが言語を習得する手順を以下のように考えました。

環境からの刺激(周囲の大人が話す言葉を聞く)→模倣→反応(周囲の大人からの承認や評価)→強化→習慣形成

親がこどもに与えるインプットの多くは文法的に正しい情報なので、こどもは間違いを訂正されることなく文法を獲得するのか、誤りや不明瞭な発話をしたときに正しい形を補って繰り返すことで、「訂正」も受け入れながら文法を獲得するのかは、現在なお研究が進められているところなのだそうです。

言葉は「後天的に学び取る能力だ」は、当然のことと思っていたのに、ひとつの説に過ぎないとは驚きです。

それどころか、言葉は「もって生まれた能力だ」という説があり、それが結構有力だというのです。

この説はチョムスキーが代表提唱者で、「こどもは周りの大人から限られた情報しかあたえられていないのに、最終的に大人と同じ文法を習得できるのはなぜか」という疑問の答えとしてこの説を提唱したということです。

確かに、2歳児がカタコトでしか話さなかったのが、別に文法をみっちり教えるわけでもないのに、3年ほどするとそれほど間違いのない日本語を話すことができるのは、その間ずっと友だち含め日本語を聞いたり話したりし続けていることを考えても不思議ではあります。

チョムスキーは、人間は生まれつき文法的な文を作り出す言語能力を持っているという説(言語生得説)を唱えました。その生得的に持つ「普遍文法」をもとに、各言語の文法を作り出していくという理論が「生成文法理論」です。

言語生得説を唱えたチョムスキーに対して、トマセロという人は、言語を習得する能力は生得的なものだが、言語そのものに関する知識は後天的に学習されるとの立場を取ります。何か、スキナーとチョムスキーの折衷的な説ですね。

言語習得には、はっきりと解明されていないメカニズムがまだまだあるのだと知らされました。