乃木坂46の楽曲を一日一曲語る。30日目『サイコキネシスの可能性』
_______【この記事の構成】_______
▼今日のこばなし
本題の伏線になる時とならない時がある雑談
▼『○○』の基本データ
作編曲、歌唱メンバー、MV等の情報
▼『○○』を語る
愛と飛躍に溢れた考察
▼おわりに
総括とキメ台詞
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▼今日のこばなし
「毎日投稿1ヶ月」
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『乃木坂46の楽曲を一日一曲語る。』シリーズを毎日投稿し始めて1ヶ月。
この1ヶ月で、筆者は己の無知さを嫌というほど見せつけられた。
まず、言葉のバリエーションの少なさに悲しくなった。
手探りの状態から、どうしたら自分の考えを正確にそしてわかりやすく表現できるかを考えて、なんとかここまで来れた。
さらに、情報収集のために本やネット記事を読むにつけ、自分が文章を読むスピードがあまりに遅くて愕然とした。今まであまり本を読んでこなかったツケが回ってきた。
情報収集は今後の課題である。
とはいえ、なんだかんだこの状況を楽しんでいる。
特に、筆がノッて来た時の快感は何事にも変えがたい。
どうやら完全にハマってしまった。
わーわー言うております。お時間です、本題へ。
▼『サイコキネシスの可能性』の基本データ
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▼収録 / 発売日
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5thシングル『君の名は希望』通常盤 / 2013年3月13日
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▼作詞 / 作曲 / 編曲
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秋元康 / 杉山勝彦、小倉しんこう / 京田誠一
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▼歌唱メンバー
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秋元真夏、伊藤寧々、井上小百合、桜井玲香、中田花奈、永島聖羅、西野七瀬、若月佑美
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▼センター
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桜井玲香、秋元真夏
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▼MV(ミュージックビデオ)
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この曲のMVは制作されていない。
▼『サイコキネシスの可能性』を語る
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・超能力系主人公
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「僕」は「君」に片思いしている。
だが、言葉では気持ちを伝えられない「僕」は、念力で「君」の方から近づいて来ないかなぁと願っている。
1番を聞いているうちは「念力なんて使えないでしょww」と誰もが思うだろう。
ところが、2番の歌詞で、本当に「君」が「僕」の前に引き寄せられたかのようにやって来る。これには筆者も「いや、念力使えんのかーい!」と度肝を抜かれた。
これに対する考察は後で行うものとして、まずはタイトルにも入っている「サイコキネシス」についてお話しよう。
・サイコキネシスとテレキネシスの違い
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サイコキネシスとテレキネシスの
その違いもわからない
存在するのか
ただの願望か
- 出典:『サイコキネシスの可能性』/ 作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦,小倉しんこう
「サイコキネシス」と「テレキネシス」は、ともに念力と訳される。
この念力という言葉、「人の心を思いのままに操る」という意味で使われがちだが、本来の意味は少し違う。
念力(ねんりき、英: psychokinesis)とは、超能力の一つで、意思の力だけで物体を動かす能力のこと。念動力(ねんどうりょく)、観念動力(かんねんどうりょく)とも言う。
-Wikipediaより引用
さて、念力の意味がわかったところで、では「サイコキネシス」と「テレキネシス」の違いはなんだろうか。
実は、この2つの言葉はほとんど同じ意味で使われ、辞書によっては完全に同義として扱っているものもある。
しかし、この2つには微妙なニュアンスの違いがある。
それは、単語を分解すると見えてくる。
「サイコキネシス」はpsycho サイコ + kinesis キネーシスという構成の語であり、それぞれギリシャ語で
psycho=心
kinesis=運動
という意味である。
つまり、心(念)によって人/物を動かすといった意味合いだ。
一方の「テレキネシス」は、tele テレ + kinesis キネーシスという構造の語であり、こちらはギリシャ語で
tele=遠く
kinesis=運動
という意味である。
つまりは、(直接手を触れずに)離れたところから人/物を動かすという意味合いである。
近頃よく耳にする「テレワーク」も、このギリシャ語のteleに由来している。
このような意味の違いから、テレキネシスは「離れたところから」という部分を強調したい時にしばしば使われるのである。
・願いはいつも 小さな念力
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さて先述の通り「僕」の念力研究は功を奏し、「君」を目の前に来させることに成功した。
いや待て、これは本当に「僕」の超能力的なパワーによるものなのだろうか。
もちろん「僕」超能力者説もアリだが、この曲が言わんとしているのはそれではないだろう。
『サイコキネシスの可能性』の主題は、以下の歌詞に集約されている。
願いはいつも 小さな念力
ずっとずっと思っていたら 通じるかも...
- 出典:『サイコキネシスの可能性』/ 作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦,小倉しんこう
「とにかく「君」を思い続け、念力を研究して思いが伝わるように願ったこと」それ自体が、念力に似たエネルギーになったのである。
「思い」は「力」なのだ。
クリエイターが人生を懸けて思いを込めた作品に触れた時、我々のこころが激しく引き寄せられる感覚を覚えるのもこれと同じである。
▼おわりに
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ただし、願いが念力となって伝わることと、恋愛が成就するかどうかは別問題だ。現実は非情である。
では、また明日 stay tuned!
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