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「声を出したい!」小声の私が大声でサッカーを応援できるようになるまで

こんばんは、板近 代です。

私は先日、あるサッカーチームの応援に行きました。

チームの名はFC刈谷。


この日、私はカメラを持っていったのですが、ちょっと不思議な体験をしたのです。

マスクをしている影響でカメラのファインダーが曇ってしまい困っていたのですが…………私の発する声が大きくなるにつれて曇りにくくなっていったのです!

そこにはきっと科学的な理由があるのでしょう。

でも、私はこう解釈します。

応援と撮影がひとつになったのだと。

声が出ない、自分が嫌いになりそう

以前は、少し離れた位置から聞いていたFC刈谷サポーターさんたちの応援。

この日は、その声のすぐ側で観戦させていただきました。

「FC刈谷!」
「FC刈谷!」
「FC刈谷!」

間近で聞いた応援は思った通り……いえ、思った以上に迫力があり、暖かさがありました。

私も声を出したい!

眼の前で戦う選手たちを大声で応援したい!

しかし……私が最初に口に出した「FC刈谷!」という声はとても小さかったのです。

気合を入れすぎたのか、緊張か。空回りか。

私の声は、誰にも聞こえなかったことでしょう。


そんな自分が恥ずかしくなりました。

そんな自分を嫌いになりそうでした。

だって私は、大きな声を出すつもりでそこにいたのですから。


「目の前で好きな選手が戦っているんだぞ!」

自分に呼びかけても、声は出ません。

声を出したい。

声を出したい。

声を出したい。

声…………出てほしい。

思えば思うほど喉はつまり、心焦り、私の声は多少大きくなったものの不自然な響きとなってしまっていました。

「…………」

私は声を出すのをやめ、カメラのファインダーを覗くことに集中しました。試合を見るだけであれば、曇りなくいられるからです。

大好きな選手を前に、濁ってなんていたくないからです。

レンズで拡大された選手たちの姿は力強く美しく。みな、本気で戦っていました。

本気で。

本気で。

本気で。

その姿を見続ける私の体に、あるものが染み込んできました。

それは、周りの人たちが選手に向けて発する応援の声。

その声が、自然と体の中へと入ってきたのです。

改めて思いました。

「やっぱりFC刈谷の応援、すごく素敵だ」

ハートでがっつり感じました。

「熱い」

「FC刈谷!」

私の喉から声が出ました。

「FC刈谷!」

大きな声が!

「FC刈谷!」
「FC刈谷!」
「FC刈谷!」

しかも「もっと大きく!」と願った瞬間、私の声はさらに大きくなったのです! それは過去最大ボリューム!


今までも、大きな声で応援したことはありました。

でも、わかっていたんです。私はもっと大きな声が出したかったんだって。わかっていたんです。私はもっと大きな声が出せるって。

そして今……

思って、思ったとおりの大声が出せた。

今まで見てきた試合、今まで聞いてきた応援。今まで自分がしてきた応援。その全てがつながった気がしました。


心の中だけで応援していた頃の私。

小さな声を出しながら手を叩いていた頃の私。

周りの人たちの応援に合わせて、そこそこの声を出せるようになった私。

コロナで声出し応援ができなくなって…………必死に手を叩いた私。

声出しが解禁されて、前よりも大きな声を出せるようになっていた私。

思わず、選手の名を何度も叫んだ私。


今日、思うがままに大きな声を出せた私。

その大きな声をさらに大きくできた私。

心の中だけで応援していた頃からこの時まで、心の中心にある思いはずっと同じでした。


「(この思いは言語化できない、ただ、この気持が熱いものであることだけはわかっている)!!!!!!」


その思いがあったから、私は今日、声を出せなかった自分を嫌いになりきれなかったのだと気がついたのです。

声は出せなくとも、目の前で戦う選手たちを応援したいという気持ちに迷いはありませんでしたから。


だからこそ、思うがままに声を出しそのボリュームを上げることができたことが嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、嬉しかったのです。

声を出すように、撮る

声が出た直後、撮影にも変化が起きました。

明らかに、撮れる。

自由に声が出せるようになった途端「選手の動きにタイミングの合った写真」が撮れる確率が上がったのです!

私の技術的な問題もあり、百発百中とはいきませんが明らかに今までよりも思うようにカメラを操ることができたのです!


声を出しながらシャッターを切る。

声を出すかのようにシャッターを切る。

選手たちの激しい動きを追いかけるがあまり、声を出す余裕がない時もありました。でも、そんな自分が嫌にならなかったのです。そんな余裕がなかったのです。

一所懸命。

集中力、没入感はマックスでした。

唯一の問題は、周りの人たちの応援の声と太鼓とラッパの音があまりにも素敵すぎて、たまに……ファインダーを覗いたまま飛び跳ねてしまうこと。

FC刈谷の応援のリズムが素敵すぎて、身体が勝手に跳ねてしまうんです。

跳ねると流石に撮れません。

ファインダーを覗いたままですから、視界が大変なことになるのです。

だが、それでよい!

むしろ、それがよい!

その飛び跳ねは、応援のリズムに飛び乗った結果なのですから!

本能に響く応援の中に、今、自分もいるということなのですから!

それに、再び地に足をつけば、ファインダーの中にものすっっっっっごくかっこいい“戦う表情”が見えるのですから!

応援のリズムに身を任せれば心はより燃え上がり、シャッター音もより熱く響くのですから! 

何の問題もありません!




そして、試合は終わり。

私は、勝利の歌を歌う選手たちの笑顔を撮ることができたのです。

私も、勝利の歌を、歌いながら。

臆病者の感情論

私は多分、妙に臆病な人間なのでしょう。特に怖がるべき対象もないのに、臆病モードに入ることがありますから。

この日も「ああ、今私はカメラの後ろに隠れているのだろうな」と思うような時間がありました。

でも、そんな時間は短かった。

私にとって、ストレートに「好きだ」と表現できることは生きる上でとても重要なことです。

その表現が前へと進んだこの日は、本当に素晴らしい一日。

そんな素敵な経験を、サッカーはたくさんくれるのです。

カメラにも感謝しなければなりません。

声が出せずに落ち込む私と、一緒にいてくれたのですから。

そんな愛機で、好きなサッカーチームを撮れるというのは本当に幸せなことですね。

「カメラと一緒に応援した日」

この日は、そう、呼べるのかもしれません。

以前、私の書いた短編小説のキャラクターがこんなことを言っていました。

「サッカー見てると思うよな。人が最も我慢できない感情は、喜びなんだってな」

このキャラクターは私とは違った人生を歩み、違う価値観を持つ人物です。

私では絶対思わない言葉を言うことも、珍しくありません。作者である私ですら思いつかないことを、よく言うのです。

でも、この言葉には心のど真ん中で共感できる。

なぜこのキャラクターがこの日、このセリフを言ったのかがはっきりとわかるのです。

その理由はシンプル、この言葉は観戦帰りの言葉だからです。


最後に、ひとつ個人的なお礼を言わせてください。

FC刈谷のファンとしては新参者である私を導いてくれた、あるサポーターさん。

あなたのおかげで私は、物書きとしても成長できました。

あなたのおかげで私は、よりまっすぐに自分の心を言葉にすることができるようになりました。

私は一度あなたに、私の思いを込めた文章の中でお礼を伝えたかったのです。

ありがとうございます。

あなたがFC刈谷を応援する姿は、とてもかっこよかったです。

撮影情報

⚽撮影日等
撮影日:2023年2月19日
第46回愛知県社会人サッカー選手権大会 兼 第59回全国社会人サッカー選手権愛知県大会 1回戦
vs 大同特殊鋼サッカー部
会場:トヨタスポーツセンター多目的

⚽撮影機材等
PENTAX KP J limited
HD PENTAX-D FA★70-200mmF2.8ED DC AW
Lightroom Classic(RAW現像)
Photoshop 2023(トリミング)


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