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僕が会社をやめた理由。

初めまして、isuといいます。

僕は現在、小さな広告代理店で働いています。


順風満帆だった僕の人生。

変わったのは今から2年前のことでした。

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大学時代

僕は高校受験に失敗し、2度の大学受験に失敗し、親の脛をかじりつくしてきました。

大学では、特にやりたいこともなく、バイト三昧・遊び三昧。

週6でバイトし、朝方に家に帰るという生活をしてきて気づけば大学3年生。

僕は将来のことで初めて悩みました。

慌てた僕は「何となく」新聞社のインターンをすることにします。


そこでは記事の校正、イベントの運営、取材同行など様々な体験をし、初めてやりがいというものを感じました。

同時に社会人ってこんなに頑張ってお金を稼いでいるんだと感じたのを覚えています。

僕はその頃から、広告・メディアというものに少し惹かれていたのかもしれません。


インターンが終わって、そこの新聞社ではアルバイトとして働きつつ、居酒屋アルバイトも続け、気づけば就職活動が始まろうとしてました。

今は4年生になってからが基本になってますが、僕が就職活動していた時は、10月から始まっていたのです。

「何をしたらいいかわからない」

嘆いていた僕に、大学の友達が声を掛けてくれ、就職サークルというものに入りました。

月会費は1万5000円。

正直、アルバイト三昧でお金はあります。

(親の脛かじりなので、自分の生活費・携帯代だけ自分で賄うシステムでした)

僕はそのまま入会しました。

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就職活動

就職サークルは1人の先生と生徒が30人位いて、週に1回の合同ミーティングと、月に1回の個人面談という流れでした。


就職サークルにくる生徒は皆意識が高く、聞いたことのある有名企業ばかりを目指しており、流されるように僕も有名企業を志望することになりました。

先生からは「親をがっかりさせるな」「いい企業に入ったら人生安泰」

そんなことを毎回言われ、自分自身も有名な企業に入り、「親を安心させたい」と強く思うようになりました。


毎日のように自己分析、履歴書作成、面接シュミレーション。

最終的に送った履歴書は100社程度。

受けた面接は30社程度。

手当たり次第に受け続けた結果、4年生の4月から本格化した就職活動は、5月のGW明けに終了しました。


有名な企業に内定。

他にも何社からも内定を頂いたのですが、就職活動のお話はまたいずれ。


「母さん、父さん、○○で働くよ」


すぐに報告すると、親は泣いて喜んでくれました。


あぁ、良かった。親を安心させられた。将来も安泰だ。


夢も希望もなかった僕が順風満帆な人生のレールに乗った瞬間でした。

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社会人時代

社会人になってからは、飲み会三昧でした。

幸い(?)キャバクラ・風俗は僕は好きじゃなかったのでお金を使いすぎることもなく、仕事も順調で何不自由ない生活を送っていました。


社会人5年目になって、初めて転勤することになりました。

大きな会社だったので、5年目に転勤はかなり遅い部類です。

ここから僕の人生は少しずつ変わっていったのかもしれません。


新しい勤務地は人数も多くない支店でした。

ただ支店のトップ1,2の仲が悪く、コミュニケーションが取れていないという印象でした。

ただ後輩には恵まれ、一緒に飲みに行ったり、ギャンブルしたりとそれなりに楽しくやっていたと思います。


1年後、後輩が転勤し、僕にとって悪夢の1年となりました。

仕事量が増加し、長時間勤務が増え、ストレスがどんどん溜まっていきます。

ストレス発散の為、毎週末車で4時間かけ地元に帰って、月曜の深夜に車を飛ばして家に帰るという生活を続けていました。

これが悪かったのかもしれません。


僕はヘルニアを発症しました。

動けない日々、上司からも小言を言われ、元気がなくなっていきました。

ヘルニアが治ったと思ったら、急性胃潰瘍になりました。

更に悪いことに、少数精鋭だった為、大きなプロジェクトを持たされていたんですが、それも緊急ストップ。

新しい後輩にできるはずもなく、上司からのフォローもなく、実質そのプロジェクトは流れてしまいました。

完全に僕のせいです。これは今でも思っていますし、美談にするつもりもないので、事実を書いています。


その結果、次年度の異動で本社へ帰る事がほぼ確定になりました。

上司のフォローがあったら、後輩をもっと指導して成長させていたら、いや、そもそも地元に毎週帰ってなければ病気にもならなかったんじゃ・・・

色んな事が頭を駆け巡りましたが、そんなことを考えてももう遅い。

人事異動が正式に発表されるまであと1ヶ月。

僕は悩みぬいた結果、結論をだしました。


「すいません。僕の責任でご迷惑おかけしました。

今年度で辞めさせて頂きます。」


正直、もうどうにでもなれって思って勢いで言った部分もあります。

フォローしない上司に対する反抗として言った部分もあります。


ただ、辞表を出した瞬間は、スッキリした気分ではなかったのははっきりと覚えています。

こんな図が頭をぐるぐる駆け回っていました。

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そこからは、上司の引き留め、お世話になった人への報告等ありましたが、

そのまま無事に退社し、晴れて無職になったのです。

辞表を提出した日、親へ連絡し、実家にしばらく住むことを伝えると少し安心そうに「気をつけて帰っておいで」って言ってくれた理由は僕は知りません。ただ僕は、親は気づいてたのかなぁって思ってます。


まとめ

退職した会社にはお世話になったと思っていますし、勤務時間は長かったにしろ、ブラックだとは思いません。

順風満帆な人生がちょっとしたことで崩れる可能性があるということを伝えたかったです。

次回、無職から広告代理店へ 近々


読んでくれた方、有難うございます。



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