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英文仏教書講読 The Art of Solitude(第7回:3章)

英文仏教書講読The Art of Solitude第7回目です。第3章の講読。渡部るり子さんの翻訳文は以下のとおりです。動画と合わせてご覧ください。

英文仏教書講読The Art of...

Posted by 松籟学舎一照塾 on Monday, September 13, 2021

3章

僧侶になって3ヶ月が経過した頃、ダラムサラの背後にそびえるヒマラヤの山麓に入っていった。私は21歳だった。バックパックに入れていたのは、寝袋、地面に敷くシート、タオル、やかん、ボウル、マグカップ、本を2冊、リンゴをいくつか、乾燥食品、5リットル容器に入れた水だった。モンスーンがちょうど終わったところで、空は晴れ渡り、空気は澄み、葉は豊かに茂っていた。3、4時間して、人間が歩く道から、動物の通る道へと移り、まばらな緑に覆われた急な坂を登り、午前中に見つけていた岩や枝に隠されていた草の生い茂る岩棚にたどり着いた。
 インドやチベットの隠者に触発され、全ての人との接触を断ち、孤独で無防備な状態とは、どのようなものかを知りたかったのである。私はこの僅かな食料と水が続く限り、この場所に留まるつもりだった。誰も私がどこにいるのかを知らなかった。たとえ転んで足を骨折しても、コブラにかまれても、熊に襲われても、私は発見されなかったと思う。人里離れた小高い場所にいても、まだ遠くに角笛の音や、バスやトラックのギアがうなる音が聞こえてくると、まるで自分への侮辱であるかのように感じた。
朝起きると寝袋は夜露で濡れていた。トイレ、瞑想を終えると、火を起こし、湯を沸かし、お茶を入れ、煎った大麦の粉と粉ミルクと混ぜ、生地を作った。これが朝食と昼食となった。僧院の規則に従い、夜は食べなかった。
私の瞑想には、手ほどきを受けていたサダナ(sādhanās)という手法もあった。怒った雄牛の頭を持つ男性的なヤマーンタカ(Yamāntaka)か、裸で月経を迎えている赤いヴァジュラヨギニ(Vajrayoginī)が自分であるとイメージするものであった。このタントラ教の実践を、頭からつま先までを一時間かけて十分に関心を向けて観察していくことに置き換え、体を満たしている移り変わっていく感覚や感情に繊細に気がついていった。食事や瞑想の時間以外には、8世紀のサンスクリット語による大乗仏教のブッダの言説のアンソロジーであるシャーンティデーヴァによる入菩薩行論(Śāntideva’s Compendium of Training、直訳:修行の概要)の翻訳を詠唱した。ここにいる間に、全文を暗唱したいと誓いを立てていたのである。
「ブッダとは、後にも先にも現在にも、世俗(household life)にあってこれ以上の叡智を得たものはない」とビクトリア朝の英語で宣言している。「まるでつばを吐くように王位を放棄し、孤独を愛して森に住むべきである・・・(中略)薬草や、茂みや、植物や木が、不安になったり恐れたりしないように、森に住んだボーディ・サットヴァ(Bodhisattva、菩薩、ブッダ)は、自分の体を、薬草や、茂みや、植物や、木や、森や、漆喰の壁や、妖怪であるかのように見なしたに違いない・・・」
入菩薩行論 には、実践のためのインストラクションが書いてある。森に住むところを定めたら、僧侶とは、「それまでに読んだものを、高くもなく、低くもない声で、いらいらしたり、取り留めなく考えたりせず、ただ静謐に、怠ることなく、夜も昼も暗唱すべきである」としている。私はためらうことなく、渓谷と風の静けさの中に、言葉を響かせたのであった。
茶色に色褪せたが、この時のハードカバーの本はいまだに手元にある。ピカデリー・ブック・ストールとあるにじんだ紫色のスタンプから、70年代の早い時期にデリーでこの本を買ったと思われる。今、目の前に開いて置いてある。黴臭く、胡椒のような匂いは、当時インドで手に入れた本と結びつき、嗅覚を刺激する。森の中で赤い衣を着て足を組み、地面に座った自分に戻り、「木陰に花が咲き、果実が実り、葉が生い茂り、狂犬病の犬が来る危険もなく、洞窟や、尾根づたいにゆったりと歩き、例えようもない穏やかな山の斜面にあって」、一生懸命にシャーンティデーヴァ(Śāntideva)の言葉を暗唱しているのである。
この孤独の体験から今の私に残っているのは、広大なパンジャブ平野の光景、巨大な大空の輪郭の記憶、そしてこの脆弱な自己認識の点のようなものを匿ってくれた山である。ある時、華やかで様々な色をした鳥が下の崖から上がってきて、一瞬だけ空中に漂い、そして視界から消えた。ある昼下がりには、山羊とその飼い主が私を発見しそうになった。山羊が草を食み、針金のように細く、日に焼けて目の粗いウールの上着を着た男が岩の上に横になるのを、垣根のようになった葉の間から覗いた。
蓄えが尽き、テキストも暗唱したので、マックロード・ガンジ(McLeod-ganj)の村に下山し、自分の部屋に戻った。山の上にある5日間で、私は孤独という味を好きになった。それ以来、その感覚はずっと共にある。

(第8回に続く)


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