自分たちで国を作るつもりでいく
先日、参政党のイシキカイカクサミットに参加してきました。私は、参政党に対しては、かなり肯定的な方だと思っています。できるところまで、頑張っていただきたいです。
しかし、もろ手を挙げて賛成をしているわけではありません。
憲法改正論議について、警戒をされている方もいらっしゃるようです。ただ、これについては、どういう中身になるのかはっきりしないため、今の時点で、あまり言うことはないかと思っています。
一方、天皇に関する話は、割とはっきり言われているので、ここについては、少々、思うところがあります。
おっしゃりたいことは、分からんでもないです。
天皇という権威と権力を分けて、権力の上に権威を置いているのがよいとか、その権威が国民を象徴している・国民をいたわっているのだから、権力が暴走をしないようになるということは、理解できないでもありません。
ところで、このお坊ちゃまは、本当に国民の安寧を望むような人物になるのでしょうか。
別に貶めたいわけではありません。ただ、このお坊ちゃまの家庭環境をみるに、国民の安寧を願う人物に育ってくれるような家庭環境にあるのか、疑問に思えてならないのです。
国民の安寧よりも、ご自身に「箔がつく」ための知恵を凝らしたり、周囲の見られ方ばかりを気にするような人物に育ってしまうのではないか?そんな不安に駆られるのです。
もちろん、個人の資質は大した問題ではないかもしれません。
皇室や天皇というのは、もはや「仕組み」なのであり、それ自体に意味があるため、天皇個人の資質など関係ないという言い方もあるでしょう。
しかし、仮にそうだとすると、その皇室の正統性について、一度、きちんと整理していく必要もあります。
幕末・明治以降、皇室や天皇という「仕組み」自体が、既に外国勢力によって浸食されている可能性があります。
ただこれも、侵食されていること自体は、問題ではないかもしれません。
問題は、そういう歴史に蓋をしたままにしておくことです。そんな隠された歴史があるかもしれない皇室や天皇を、無条件「国民の安寧を望んでいる存在」として受け入れ、それを国民がまとまるための中心軸に据えることに危険性があるということなのです。
タブーなしに議論・検証がなされるべきです。そのうえで、それを受け入れるかどうかが検討されなければなりません。
ただ以前、記事にもしましたが、このあたりの議論をすると、本当の右翼さんたちに叱られます。
ハッキリ言って、メチャメチャです。皇室や天皇は、もはや一部の人たちの道具に過ぎないということになります。やってられません。
だからこそ、そもそも論でいかないと、話は通じんのです。
そうした皇室や天皇の正統性を議論するのであれば、古代まで遡って、武内宿禰という人物について深堀をする必要はあるし、皇祖神である天照大神に国を譲った出雲の大国主大神の正統性について、もっとしっかりとした認識がなされなければなりません。
今でこそ、寂れた感のある山陰地方・出雲ではありますが、古代日本における出雲の存在感は別格だったと思われます。
「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という口遊(くちずさみ)で、出雲大社が最も大きな建築物であったという話があったといいます。
ところが、そのような物証はなかなかみつからず、出雲大社の重要性は長らく謎のままでした。
しかし、2000年から2001年にかけて、その出雲大社の巨大さを裏付ける物証が発見されました。かつて、日本の中で、出雲大社が最も巨大な建造物であったというのは、夢物語ではなかったのです。
考えなければならいないのは、何故、出雲にそれだけ巨大な神社を建築する必要があったのか?大国主大神を祀る必要があったのか?ということです。
それは、天照大神に国を譲った大国主大神に、それだけ大きな力があり、同時にそれだけ祟る怖れがあったということでしょう。相手は、皇祖神・天照大神の求めに応じて国を譲った者です。
皇室・天皇側からすると、祟ってくる怖れがある存在なだけでなく、その祟る力も強大であると考えたはずです。そうであればこそ、その祟りを鎮めるために、それだけ大きな社を建てる必要があったとみてよいと思います。
ただし・・・そうかといって、今の出雲大社が立派かというと、どうやらそんな状況でもありません。
要するに、日本人がひとつにまとまるために、皇室やら天皇だけでなく、その他、自分以外の誰かに頼って、そこを中心に集まろうなどというのは、ちょっと甘えた考えなのではないかというのが、私なりの結論です。
今の時点で、何かを決めつけようとは思いません。ただ、気構えとしては、そういう何かに頼るのではなく、自分たちで、もう一回、国を作り直すくらいの思いをもって、事に臨んでみてもいいのではないかと思うのでした。
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