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右にも左にも出口なし

保守と革新」という分け方があります。これをそれぞれ「右と左」と言ったりもします。これらの思想をどのように定義づけるかについて、厳密にやろうとすると難しいかもしれません。

なので、ここでは一旦、以下のようにしておきたいと思います。

保守(右):(昔からの)国を大事にする、ナショナリズム
革新(左):国よりも世界を大事にする、グローバリズム

細かい部分で違うところもあると思いますが、記事を進めるための便宜上、まずはこれで話を進めさせてください。

このふたつで比べると、まず革新(左)は絶対にないと思います。

こうしたことで、私たち日本人の生活は、日本の国家(政府)ではない、その上に存在するグローバル企業によって、支配される構図が生み出されていくことになるのです。国の上にある大きな仕組み・・・中国共産党のような力を持つことにならないか?これが上述のグローバル企業による世界共産化の動きです。
※「グローバル企業と共産主義」より引用

革新(左)は差別反対や平等など、耳障りのいいことを言います。しかし、それらが目指すものは「価値観の単一化」であり、世界をひとつにしようとする動きです。つまり、グローバリズム・世界共産主義へと繋がるのです。とてもではないですが、私たちに明るい未来があるとは思えませんし、賛同できません。

革新(左)の対極にあるのが、保守(右)です。ザックリいえば、国を大事にする・ナショナリズムということになります。感覚的には、こちらの方が理解できます。

しかし私は、これももうダメだと思っています。

今、日本では自民党総裁選が、多くの耳目を集めています。インターネット上の保守(右)と思しき方々の間では、「●●氏が総理大臣になってくれれば、世の中がよくなる!」といった話が、盛んになされています。

けれども、もうここに至って、自民党内で誰が総裁になろうと、この国が良い方向に変わることはないと考えます。こちらの動画。

国債が国民の借金である」ということを否定していた麻生太郎氏が、のちに財務大臣となり、180度立場を変えていることをまとめてくれています。

国家・政府は、政治家個人の資質や思想で動いていると考えないほうがいいと思うのです。これらは、仕組みとして理解する必要があります
※●●よりは●●の方がマシとかくらいの話はあるでしょうが、ガス抜き程度であって、何かが劇的に変わるようなことはないように思えてなりません。

例えば今、私たち国民にとっての最も重要な問題のひとつは、国が進めている注射の件です。ろくに安全性も確認されていない薬物を、公費(税金)でバンバン購入して、それを多くの国民に打たせようとしています。

もはや国家ぐるみの犯罪ともいえる行為を目の前にして、これ以上、国家に何を望めるでしょうか。そして、新しい総理大臣が、それを止められることができるでしょうか

とてもではないですが、そんなことは期待できません。そんなことをしようものなら、その人物は総理大臣でなくなるか、この世からいなくなってしまうと考えた方がいいでしょう。

したがって、もう国を頼って生きていくことはできないのです。保守(右)の路線もなくなりました

こんなにも自分たちの命に直結する問題で、引き続きそうした嘘に騙されてあげられるほど、私たちは寛容である必要はないと思うのです。
黙ってやられるわけにはいきません。国がその気だというのなら、今の国が壊れたとしても、民である自分たちは生き残っていかないといけないと思います。
※「民の信用を失った国家の行く末」より引用

つまり、ことここに至っては、右(保守)に行っても、左(革新)に行っても、私たちには出口がないということなのだと思います。

あー、詰んだ・・・。


いやいや、こんなのもあります。めいこさんが、右でも左でもない「リバタリアン(リバタリアニズム)」について、語ってくれています。

【今の仕組み】
 -政府は犯罪組織。税金はたかり。年金制度はねずみ講。
 -私たちから吸い上げたお金で、頼んでもないワクチンを買ってる
 -政府の資金の出どころは税金
 -政府というのがなければいけないと、私たちが思い込んでいるだけ
 -政府は要らない
 -今、私たちは(政府という)牢屋にいる状態
 -牢屋の施設長を誰にするかなんていう人気投票は、ただのガス抜き
【リバタリアン】
 -リバタリアンは、価値観の合う仲間たちの繋がりで生きていく。
 -仲間たちとの議論こそが政治活動(投票なんて政治活動じゃない)。
 -自分たちが作ったルールこそが憲法

めいこさんらしい勢いのあるトークで、語ってくれています。結局、そういう新しいコミュニティーを作っていかないといけないということです。昔風の言い方をすると「ムラ」でしょうか。

ちなみにウィキペディアの「リバタリアニズム」の項目には、以下のような説明書きがされています。

リバタリアニズムは論者によって多義的に用いられてきた。リバタリアンは、「権力は腐敗する」、「絶対権力は絶対に腐敗する」(ジョン・アクトン)という信念を持っており、個人の完全な自治を標榜し、究極的には国家や政府の廃止を理想とする。
※ウィキペディア「リバタリアニズム」より引用

ここには、「論者によって多義的に用いられてきた」ともあるので、人によっては、「リタバリアニズム」が、ほかの意味合いで使われることがあるのかもしれません。

例えば、アメリカに「リバタリアン党」などというものがあったりします。しかし、めいこさんのような考え方からすると、そもそも政府運営を目指す、そうした政党を作ること自体が、リバタリアンではないのかもしれません。


何にせよ、ここで言いたかったのは、「右でも左でもなく、第三の道があるのではないか?」ということです。

今この瞬間、「そんなこと言ったって、できるわけがない」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私たちは、税金を納めなければいけないし、「円」というお金を稼いでいかないと生きていけません。それはその通りです。

しかし、これから先、この世界がどう変わっていくかは分かりません。少なくとも、世界や政府の仕組みが、今の延長線上にあると考える必要はないと思います。

国家制度、法制度、通貨制度、税制度・・・これから先も、今のままではないと考えてみたらどうでしょう。私たちが心配しなければいけないのは、そうやって世界が変わってしまったとき、私たちに何の準備もできていないことです。準備ができていないことが、一番危険です。

リバタリアンの世界、いいのではないでしょうか。私は強く共感します。できる準備を進めていきたいと思います。


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