考えるな!感じろ!!!
いろいろ大変な世の中でございます。
健康や命に関して重大な問題をはらんだ注射について、ろくに調べることなく、ほとんどの人々が、ただ言われるがままに腕を差し出す世の中です。
そんな人々が、食料危機だなんて言説があったところで、いちいち食料を備蓄したり、何かを栽培するなんて、まどろっこしいことをするわけもないでしょう。
それらも含めて、それぞれ自分の選択・生き方だと思います。それぞれが、納得いく生き方をされることを切に願っています。
何やら変な書き出しをしてしまいましたが、最近、私、リアルに脱力が進んできているように思うのです。農作業なんかに明け暮れていると、俗世のことからだいぶ離れていきます。
自分自身のことながら、そんなことを思わないわけではないです。最低限、世界のことは、勉強しなければいけないと思っています。
でも、しょーーーーーじき、どうしようもないことは、どうしようもないと思うしかありません。勉強して、情報取って、知ったところで、自分自身の行動として、できることには限りがあります。
そして、野菜を作り始めたら、リアルにそれどころじゃなくなってきます。気になるところが変わってくるのです。
こういうことの方が、私にとっては、ずっと大事になったりするわけです。俗世のニュースで、誰が亡くなったとか、どこかがNATO加盟申請するとか、まぁ、大事と言えば大事かもしれません。
しかし、今の私にとっては、野菜の方がずっと大事!!!
大事である理由は、自分でコントロールできるからです。
自分の力が及ぶということは、自分次第でいかようにでも変えることができるということです。そういうことに価値を置くことは、シンプルに大切だと思います。
もちろん、そうした野菜栽培が、世界の未来を切り拓いていくうえで、非常に重要な意味を持つという大前提があることは、言うに及びません。小さいことであっても、それが未来に繋がると信じられるのであれば、そこには全力を尽くす価値があります。
そして、そんなことを考え、それを実行するようになってきてから、徐々に考えるよりも、感じることが多くなってきました。
例えば、自分という存在についてです。以前、こんなことを書きました。
「宇宙全体が生命体」と書いています。
これは世界や宇宙の仕組みを考えれば考えるほど、そういう仕組みであることを受け入れざるを得ないと思ったからでした。そして、そう考えることによって、私たちの未来も開けていくようにも思いました。
ところが最近、そう考えるのではなく、そう感じるようになってきたのです。
電荷の交換をするような、思考する「何か」が生命体だとしたら、宇宙空間のあちこちに、無数の生命体がいることになります。
そして、コンピューターなどもそうですが、それらが集まったものが集積回路だと考えると、この宇宙全体が、とてつもなく大きなひとつの集積回路だと捉えることができます。それはそれで、ひとつの巨大な生命体と考えることもできるわけです。
そうなると、私なんぞは、その巨大な宇宙というひとつの生命体を構成する一部であるということになります。
最近、変かもしれませんが、それを感じるのです。
車を運転していて、窓に当たる雨粒をみて、それが何だが自分とあまり変わらないモノのように思えてみたり、そういうひとつの宇宙を感じながら、「うまい方向にしかいかないな」などという、云われない自信のようなものが湧いてきたり・・・。
「そもそも宇宙が始まった時点で、宇宙自身には意思があり、美しいストーリーを紡ぐために、この宇宙は誕生しているはずだもんなぁ」みたいな、そういうワケの分からない自信です。
うーん、我ながらワケ分かりません。野菜の栽培なんかに精を出して、俗世から離れた生活をしているからでしょうか・・・?
でもま、野菜の栽培は、絶対に悪いことじゃないはずです。できれば、みんなやった方がいいと思います。
大地に触れて、水や空気を感じて、葉っぱや虫を眺めているうちに、考えるのではなく、感じることが出てくるのでしょう。それだけ自然に触れるようになれば、宇宙の摂理を感じるくらい、当然のことなのかもしれません。
そりゃ、良い方向に行って当たり前です。シンプルに楽しいですしね。
やりましょ、やりましょ。
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