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在宅ワークが気づかせたもの

世界がコロナウィルスの脅威に曝されて一年以上が経過しました。この間に日本でも生活スタイルは大きな変化がありました。マスクの着用、徹底した手洗い、ソーシャルディスタンス。そして、在宅ワークです。今回の記事は在宅ワークが進み個人的に感じたことを記事にしてみました。また、在宅ワークに向けたプロダクトが色々と考え出されていますが、その課題をあげています。

通勤がなくなってみんな幸せ?

コロナの驚異に対して日本は三密(密閉、密集、密接)を避ける行動を取ることを早々に実践しました。都市部の通勤・労働環境では三密回避をするのは非常に難しいと言えます(未だ解決していないと思いますし、既に対策は形骸化している感もあります)。そして緊急事態宣言もあったことから、半強制的に在宅ワークへの移行が行われたと思います。

在宅勤務になって大きく変わったのは、通勤地獄からの開放です。東京都心で働く大抵の人にとって通勤というものは正に地獄でした。電車は鮨詰めで身動きが取れず、パーソナルスペースなど夢のまた夢でした。まさに現代の奴隷船です。都内勤務だと通勤時間の平均は約50分らしく、往復で1時間40分も時間を取られていることになります。

この通勤時間がいきなりゼロになったのです。もちろん、在宅勤務ができる職種は限られていて、出勤をしないといけない人も多いです。それでも、在宅勤務可能な人たちが移動をしなくなったことで、公共空間での接触は少なくなったと思います。

さて、満員電車から解放され、時間にもゆとりを持てるようになりましたが、幸せになれたのでしょうか?基本的にはYESだと思っています。通勤時間に対価が払われるわけでもないのに時間を拘束され、仕事を始めるときには疲れているというのは非効率以外の何ものでもないと思います。

しかし、必ずしも良い面だけではないとも思います。特に思うのは、プライベートから仕事(またはその逆)への明確な気持ちの切り替えが難しくなったことです。何事にも、ルーティーンや儀式が存在します。仕事が大好きな人であれば職場に向かう胸が高鳴る時間、そうでなくても気持ちを整えたり、心のなかで「どっこいしょ」と切り替える時間っだったのではないでしょうか。

ただ、通勤していたことに比べれば小さい問題ですし、別のルーティーンを作ることで解決できることだと思います。会社のマネージメントや運営側はそのような部分のケアをするべきだと思います。些細なことだと切り捨てて個人だけに負担を追わせるのは会社経営としてもきっと良いことはないのではないでしょう。そして、このような新しい課題があるということは、それを解決する新たなサービスを開発するチャンスと見ることもできます。いかにプライベートと仕事の切り替えを気持ちよくさせるか、みんなで今一度考えてみましょう。

オンライン会議疲れ

また、家で一人で仕事をするということ自体にも良い面と悪い面があります。良い面は、誰かに邪魔をされずに仕事ができるので、自分のタスクに集中して取り組みやすくなったことです。オフィスに居ると誰かしら話しかけて来ますし、雑務も多いですよね。

悪い面としては移動をせずに会議を設定しやすくなったがゆえに、結果として時間がタイトになったことです。雑談や雑務ではないので、無駄というわけではないのですが、仕事から離れられなくなった気がします。仕事への束縛は電話、メール、SNSの発展とともに進んできましたが、悪い意味でここに極まった感じがします。みんな人間なので息をつく間もないほど働いていては心も体も疲弊してしまうはずです。

この対策として会議ツールにストレス計測を導入しようとするサービスがいくつも現れました。しかし、その多くは方法論以前に、倫理的になんともな感じがします。Oliveでもストレス計測はやっていますが、監視的になる開発に関してはかなり慎重な姿勢です。雇用主である企業が家庭に監視を持ち込むのは、ストレッサーや不信感を増やしていませんか?近視眼的な発想だけだはなく、全体観を持ったサービス設計が必要です。ストレスを見てどうしたいのかという大義がなければ、それは興味本位の覗きや監視と等しいのではないでしょうか。

しかし逆に言えば、このように課題があるということはベンチャーにとってはチャンスです。この倫理的課題に果敢にチャレンジする知人を知っていますし、私達も正義を持ったクライアントと取り組んでいます。みなさんもお困りであれば一緒に考えてみませんか?

地域と孤独

正直、ずっと家にいるのは孤独です。個人的には雑談が減ったのが原因かなと思います。仕事はプライベートではないと言いつつも、生活の大部分の時間は仕事場にいる時間でした。在宅になってわかったのは、結局職場も生活の一部だということです。明確に切り離せないどころか、共有している部分が大半だと言うことです。

また、特に東京の場合は地域コミュニティとの関わりが元々薄いと言うのが、孤独感を感じさせる一因だと思います。コロナが一時的におさまっても、在宅勤務は継続されます。そうすると、外に出られるが、職場には行かないと言う状況が発生します。でも、東京の暮らしって、極端に地域との繋がりが薄いんです。私自身は超がつくほどの田舎出身なので、その差を実感します。住んでいる地域の近くで過ごす時間が多くなったわけですが、そこに家族以外のコミュニティが存在しない。それが孤独を感じさせるわけです。

これからコロナがどうなるかわかりませんが、在宅ワークはそれなりに定着すると思います。そうすると、リアルなコミュニティを住地域にもつことは重要になります。通信が発展する以前の世界と以後の世界(現在地点)のハイブリッドを目指したほうが、感情をもった人間として満たされる日常が送れるのではないでしょうか。

アナログだけでなデジタルも今や現実の世界だと思います。しかし、どちらにも得意不得意があったことがコロナで明確になったと思います。ハイブリッドな世界をどう作るか。もし、コロナがなんともなくなったとしても、地域にコミュニティがあることはマイナスにはならないです。そして、そのようなコミュニティのあり方を構想したデジタルサービスが出てくると面白そうです。

おわりに

コロナの流行で生活がガラッと変わりました。その間に色々な意見やサービスが登場しました。でもまだ一年です。答えの出ない課題も多いですし、そもそも私達にとってどのような問であるのかという部分すら整理されていないと感じています。方法論を考えるのも大切ですが、まずは何が起こっているのか、何をしたいのか、誰が登場人物なのか、ゆっくり考えてみることが必要なのかもしれません。頭が良い人でも、人間自分のこととなると途端に視野が狭くなるものです。コロナは自分事だからこそ、冷静に問題を見つめてみましょう。


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