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もう一歩だけ前に

「ライブハウス京都VOXhall/十八番ブッキングスタッフ石坂です!」

これを言うことはもう無いんだということを、今日は書いていきます。

4月いっぱいで京都VOXhallが閉店することが決まりました。
原因は新型コロナウイルスによる影響で起こったビル維持が不可能になったが故の立ち退き。

上層の方々は最後の最後まで粘ってくださっていたみたいです。
でも誰も現状には太刀打ちできなかった。どうしようもなかった。

今年で40thAnniversaryとなるVOXhall。
何よりも盛り上げたかった。かっこいいことしたかった。

今まで出演してくれていたアーティスト、ホールレンタルをしてくれていた団体や個人イベンター、何よりもいつも笑顔で遊びに来てくださっていたお客様に、月間イベントを通してお礼を言いたかった。

"VOX FESTA!"って言ってね、5年くらい前まで毎年11月に開催されていた周年月間イベントがあったみたい。
僕は約2年半前に働き始めたから、実は知らない。
でもメンツがすごい良くてね、その頃のポスターを見るたびにニヤニヤしてた。ブッキングを重ねるたびに、VOX FESTA!がどれほど面白いメンツだったのか、理解できるようになっていった。

ぼくはそれを復活させようって、本当につい3.4日前までオファーをして11月の周年月間イベントを作ろうと動いていた。

そしてその11月に聖火の如く繋がれていくイベントを組んで下半期で一つ大きな作品を作るようなイメージを持っていた。
ただその炎はコロナウイルスに吹き消された。

このコロナの影響によるイベント自粛期間にできたことは

本当の目先にどんな面白いことをしてVOXhallユーザーを笑顔にできるか。
先の目標を立てて、そこまでどうやったら経営を継続できるか。
そしてその先の目標にどんな夢を見るか。

こんなことばかり考えていた。決して下を向くことをしなかった。
イベントが嘘のように無くなっていった本当にどうしようもなく辛い日々は3月に始まった。でもスタッフに会うたびに、こうしようああしようって、たくさん夢の話をした。

僕たちなら大丈夫ですよ!!
なんて根拠のないことも言った。

楽しかったなぁ、この時間が。

本当に、本当に、急だった。
全部の予定がなくなったんだ。
誰が悪いとか、そんなんは本当にない。
政府だって必死こいて頑張っているだろうし、
誰もが応援をしてくれていた。

本当にいい場所だった。

いちスタッフ、いち個人として、
僕は此処にいた方々に笑顔をもらった。
居場所をもらった。思い出をもらった。

結構大好きやったんよなぁ。
ホール3段目やステージ脇から観るライブ。
自分で制作をした日に照明/現場をしたこと。
出演したときは雛壇方のホールの一番高いとこまで音を飛ばそうと、届けようとしたこと。
オープンなBarカウンターでのコミュニケーション。
いろんな人と仲良くなったしいろんな人と音楽の話をした。
誰かの役に立ってるような気がしたし、
誰かの夢を一緒に見ていた。
僕の夢もみんな一緒に見てくれていた。

野暮なことを書いてるかもしれない。
でもね、誰かにとってはどうでもいい場所だったかもしれないけど、同じように誰かにとってはかけがえのない場所だったんです。僕みたいにね。

昨日、関係者各位に連絡をした。
つい前日まで僕たちはこうやって生き延びようとしてます!!って連絡取り合ってた信頼ある方にも連絡をした。閉店を伝えることが辛くて電話で話したら少し泣きそうになった。けど、本当に元気をもらった。
不安定ながらも微かに狼煙は上がっていた。

僕たちは終わっていない。

新しくライブハウスを作り上げることを宣言した。
それが実現できるまで、僕はちゃんと生きようと思う。
相、変わらず、バンドマンとして生きようと思う。

面白い話もちょくちょく出てきた。
 少し待ってていただけると、大変嬉しく思います。
いつか必ず、僕たちチームVOXhallは時期も場所も名前も形態もわからないけど必ず音楽シーンに戻ってきます。

でもひとまずちゃんと言わせてください。
僕のブッキングイベントにご出演いただき、ありがとうございました。
そしてご来場、ありがとうございました。

今後ともどうぞお願いします。
ライブハウス京都VOXhallブッキングスタッフ 石坂亮輔

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