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拝啓 ラジオの学校の校長

高校時代、私はラジオっ子だった。

正確に言えば、好きなアーティストがパーソナリティを務める番組があることを知って、ラジオっ子になった。

その番組の放送は深夜2時から。親を起こさないように細心の注意を払いながら、毎週月曜深夜1時55分に目覚ましをかけ、布団にもぐったままラジオアプリ・radikoを起動する生活。

人が寝静まった時間に起きているちょっとした背徳感の中、ラジオだからこそ言えるパーソナルな話や新曲・ライブに関する進捗報告などを、よりリアルタイムに近い形で聴ける喜びは、何にも代えがたい。

私にとってラジオが身近に、そして好きになったきっかけだった。

あるとき、そのアーティストが他の番組にほぼまるっと2時間もゲストとして出演するという情報を目にした。
この「他の番組」こそがSCHOOL OF LOCK! だった。

SCHOOL OF LOCK! (略称:SOL)は中高生を主なリスナーとし、掲示板への書込みと逆電(パーソナリティがリスナーと電話で直接話をすること)をとても大事にする番組だ。ここではリスナーは「生徒」、ゲストは「先生」、パーソナリティは「校長」「教頭」と呼ばれており、それはまさしく「ラジオの中の学校」。

ラジオ好きに拍車がかかっていたからか、気づけばこの学校にほぼ毎日通うようになっていった。
リアルタイムで聴くのはもちろん、通学中、さらには学校にいるときも聴いていた。

学校で何をしているんだ、と言われるかもしれないが、そのとき私は大学受験を控えており、今振り返っても本当につらい時期であったことは間違いない。
私を大事に思ってくれる友人はたくさんいたけれど、ふと一人になりたくなることは多く、そう感じる度に、心の拠り所となっていたSOLを誰もいない空き教室でこっそり聴いていたのだった。

SOLを聴くようになって数か月。いよいよ私立の受験が差し迫っていた。
勉強の成果が思うように出ない日々。

「理系教科が苦手なのだから、その夢は諦めなさい」

かつて向けられた心無い言葉がフラッシュバックする。

「君の志望する大学は諦めて、この大学へ行きなさい」

そういうことを言われ、赤本を差し出された。

私はこれらの言葉を、一生忘れることはないだろう。

これまで感じた怒りを発散したくて、この悔しい気持ちを言葉にしたくて、聞いてほしくて、私は初めてラジオに「校長・教頭と逆電をしたい」というメールを出した。

その後、本当にSOLの職員(スタッフ)から電話がかかってきた。
全国30局以上で流れるラジオで話す機会が訪れるとは思いもしなかった。

そのときの校長はとーやま校長、教頭はあしざわ教頭。
どこかちぐはぐなことばかりを言う私の話を、丁寧に、親身に聞いてくれた。
そしてとーやま校長は私に向けてこう言った。

そういうことを言った人は、君より長く生きているでしょ?
長く生きている分、答えをいくつか持っていたりするんだよね。
それが君にとって良い答えなのか悪い答えなのかはわからないけれど、大人って間を抜いてポンっと答えを出してしまうんだよ。
それは、10代のみんなや俺ら側からしたら引っかかる部分はあるけれど、向こうも君のことを思って言ってくれているのかなって。
今はそれを受け入れる必要もない。
そういうところも大人のいいところであり悪いところでもあるんだよね。
(放送後記より一部加筆修正)

あれから3年以上が経ち、校長が言ってくれたことが骨身に染みている。

本当にその通りだった。

私達生徒の視点に立って、私の幼い考えも汲み取って、丁寧に紡がれた言葉。

私は校長・教頭から貰った言葉を、気持ちを、一生忘れることはないだろう。

今なら、忘れられない言葉をかけた双方の思いがよくわかるのだから、私も多少なりとも大人になったようだ。

そんな心から生徒を思ってくれるとーやま校長は、10年にも及ぶその任期を終え、この春、退任する。

拝啓 とーやま校長

あれからしばらくして、私は自然にラジオの学校を卒業していったけれど、好きなアーティスト講師が登校するごとに、母校を訪ねる気持ちで聴いていましたよ。

あの時持っていた夢を今はもう追ってはいないけれど、しっかり理系の志望学部に合格して、決して得意分野とは言えない世界の中で揉まれながら、できないなりに楽しくやれていますよ。

自分の選択に、後悔は微塵もありません。

逆電できてよかった。
この気持ちは、また改めて伝えられればと思います。

あなたの退任はとてもとても寂しいけれど、その決断を、門出を、心から祝福します。
またどこかで「起立 礼 また明日!」と叫べますように。

敬具

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