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第164回芥川龍之介賞・講評会

白昼社の編集・作家である泉由良さんと芥川賞の講評会を行いましたので、記録を残します。
コロナ禍ですので、Skypeのチャット機能を使ったリモートで講評会を行いました。
対象作品は下記の5つです。

「推し、燃ゆ」(宇佐見りん)文藝 秋季号
「母影(おもかげ)」(尾崎世界観)新潮 12月号
「コンジュジ 」(木崎みつ子)すばる 11月号
「小隊」(砂川文次)文學界 9月号
「旅する練習」(乗代雄介)群像 12月号

ウェブサイトにあるこの順で講評を行いました。
まずは「推し、燃ゆ」(宇佐見りん)文藝 秋季号。

泉由良
最初は15年ぶりの「蹴りたい背中」というか、新進の若い女性作家が描く時代性という非常に文藝らしい、悪く云えばお家芸だったので冷めるかと思ったのですが、これ、よかったです。
ところどころの文章にとてもどきっとする。描写力が強くて、宇佐美りんさんは嗅覚に敏感だと他のインタビューで読んだのですが、五感にくるひとです。
にゃんしー
21歳。若い。
文藝らしい作品だと思います。
泉由良
にゃんしーさんの考える文藝らしさって何ですか
にゃんしー
ぱっと思いつくのは、軽いわりに癖のある文体と時代性、サブカルチックなところ、20代以下の読者層に受けそうなところですかね。
すべてがすべてそうではないけど、、
泉由良
「推し、燃ゆ」にもまず【推し】という概念が普通に登場しますね。たぶん【推し】の概念を知っているか知らないかで読者層が分かれてしまう。それからtwitterらしきものやブログ、あとインスタライブはかなり重要な部分にありますが、Instagramでライヴしているのってアイドルやそういう仕事ではなければ観ないですよね。にゃんしーさんってインスタライブ観ないでしょう?
にゃんしー
観ないですね。あんまり一般人は観ないのでは。
泉由良
読者層を狭めているようでもあり、逆に広げてくれる場合もあるし、その点悩ましいですね。メディアミックスされ易い文藝だからプラスに働く方が大きいかも知れないですね
にゃんしー
文藝の作品って読者層を絞ってることが多い気がします。それが良いほうに働いて、結果売れる。文藝賞の「おらおらでひとりいぐも」もだいぶコアな作品だったけど、芥川賞取って、50万部売れ、映画化もされました。
宇佐美りんは遠野遥と文藝賞同時受賞なのですが、今回芥川賞取ったら、2回連続で同期の文藝賞の方が取るわけで、文藝の強さが光ります。
文藝はいま増刷重ねてめっちゃ売れてますし、文芸界隈では今を華やぐ文藝です。
ただ個人的には「推し、燃ゆ」はピンとこなかったので、、主観ですが。刺さらなかったというか。いま読み直すと、すっきりしてて良い文章だなあとは思うけれど、すっきりしすぎてて残りませんでした。それを単に主観と片づけていいのかどうか、、
泉由良
二箇所、とてもぞくぞくした文章があって、祖母の家の風呂場〜ぼろぼろのソファ、それから最後の方の放置されたチキンラーメンについて。特にチキンラーメンの部分の描写は凄いと思う。こんな隅っこを突かれてイヤかも知れないけど。
なんか、女子高生とかライブハウスの描写も良いんだけど、その、なんというか、じめじめした場所(?)のにおいについて、筆者は無意識レベルで詳しく生きているんだと思いました。そういうのは纏おうとしてまとえる鎧じゃないので、つよいなあ〜と。
もっと何作も読みたいです。

次は「母影(おもかげ)」(尾崎世界観)新潮 12月号。

にゃんしー
バンド・クリープハイプのボーカルですね。クリープハイプの曲は聴いたことがないので、よくもわるくもそういう先入観はなしに読んだのだけれど、歌詞っぽい文章かなと思いました。歌詞の世界をそのまま小説に広げた、そのかんじ。又吉直樹の芥川賞受賞作「火花」はおもいきり芸人のことを書いた作品でしたけど、「母影」も、やっぱり純文学は私小説なのだなあと。たぶんこのあとでクリープハイプの曲を聴いても、すごく釈然とすると思います。
泉由良
歌詞っぽさありますか?
子どもの目線から書いていて、その子がまだ分からない漢字は書かないで作ったような文体でしたね。クリープハイプは私も聴いたことないですが本は既に何冊か出ていますね。私の弟もサイン会に行ってました、あはは。
母影はよく作り込んだフィクションだと思ったので、私小説とは真逆の立ち位置から読んでいます。にゃんしーさんはどのあたりが私小説だと思うの?(あ、ちなみに火花は未読です)
にゃんしー
自分がそのまま出ているとかそういうことじゃなくて、自分を作品のなかに出している生々しさというか。それはフィクションであっても、私小説なんじゃないかなと思いました。たとえば大衆小説なら宮部みゆきなんかだと、事実を書いたんじゃないかというぐらいしっかり書き込まれていても、生々しさはない。大衆小説だとそういう生々しさは嫌われる気がする。でも「母影」はあっさりしたなかに作者が現われている生々しさを感じました。端的にいうと、繰り返しになるけど「歌詞世界をそのまま小説にしている」という印象を受けました。
泉由良
歌詞らしさと生々しさってどういうことですか?
にゃんしー
生々しさは「作者が作品に映し出されている。作品から作者の影を感じる」ということ。歌詞らしさは「リズムとか言葉の選び方。心象の描写の仕方」でしょうか。なんかないですか、読んでると音楽が聞こえてくるような文章。美文、と言い換えてもそう遠くはない気がします。言葉選びとか使い方のセンスを感じる作品でした。
泉由良
にゃんしーさんの返しとは少しずれますが、演歌の大衆小説さに比較したらロックバンドは生々しいですよね。ロックバンドがどうかは分かりませんが、演歌は歌うたびに身を焦がす不倫を実際にしているわけがなくて、そういうのって生々しくない、って考えたら、確かに尾崎世界観は生々しかったと思う。
主人公は女児で、おそらく風俗稼業をしている母親ひとりに育てられているのですが、その女児から見る世界が、「まっさら」だと思いました。歌詞らしいというのは分からないけれど、女児の感性の瑞々しさが、すごいし、綺麗。
この前体を拭くタオルをお風呂場へ持ってきてくれた子が「濡らすタオルもってきた」と云って、そのタオルは体を拭いたら濡れるから、まあ濡らすタオルなんですけど、そういう視点の置き換えが沢山入っていて、でも作為的じゃないから本当によかったです
でも受賞して欲しくは、ないかな。
にゃんしー
なぜ?芥川賞のイメージと違うからですか?
泉由良
いや、きれいな絵を書いてきれいだから賞を貰えるという話じゃないじゃないですか、賞は
にゃんしー
きれいさでいえば5作のなかでいちばんきれいな作品だったと思います。
透明感があるというか。
泉由良
とてもきれい。嫌味もなくきれい。ミネラルウォーターみたい
にゃんしー
コロナ禍の今回の芥川賞、「こんな世の中だから」という視点が必ず入ってくると思います。そういう意味ではこのきれいな作品に賞を与えるというのも、「時代」のひとつの選択肢かもしれない。
泉由良
コロナ禍でいうなら「推し、燃ゆ」はどうかとも思うし全体に云えるので今後ずっと主題となると思います。その点「母影」は時代性が無くて、国民性だけ一点だけ出していてそれも殆ど無くて、きれいなお伽噺ですよね。「こんな世の中だから」という気持ちは分かるけれど、作家としては、お伽噺に依存しない強い文章を書いてゆきたいし、文壇もお伽噺をプッシュするのは微妙に居心地が悪いかな。
あと、何につけてもきれいなのが困りもので、水に一等賞をあげたら飲み物を作ることが出来ない、みたいな

次は「コンジュジ 」(木崎みつ子)すばる 11月号。

泉由良
全候補作のなかで「コンジュジ」だけ新人賞受賞作(すばる文学賞)ですね。コンジュジとはポルトガル語で配偶者という意味。
これはとても頑張っていると思うけれど、ちょっと、受賞は無いかなと例外的に(私は勝馬の話はしていないので例外的に)思いました。どうなんだろう。
他の4名は雑誌掲載なり編集者なりのバックアップが約束された環境でおそらく書いていらっしゃいますし、その点、新人賞へ受賞して書いて受かって更に候補作になるまで、この著者はいちばん孤独に過ごした筈。功労賞でいうならいちばん労われてもいいと思うし、それにつまらなくはなかったですね。
ただ、すばる賞過ぎる。どうなんでしょう
にゃんしー
作者はこの作品に5年間かけたそうです。根性ですね。だからといってもちろん作品の評価が変わるわけじゃないですが。冒頭の一段落を読んだ時点で、その時点で別の作品もいくつか読んでいたので、相対的にちょっと苦しいかな、と思いました。文章の持つ力が数段弱い気がしました。その力の点で「推し、燃ゆ」なんかと比べられると思うとちょっと苦しいかな、と。それを埋め合わせるだけの強いものも、私は感じなかったので。ゆらさんはどうですか。この作品が優れてる点があれば、どこだったと思いますか。
泉由良
これ優れているといって良いか判らないのですが、出てくる人間がみんな胸糞悪くて、クソ・オブ・クソ。例えば「蛇にピアス」なんかクソ・オブ・クソグランプリだと思います。
「蛇にピアス」を挙げましたが、すばる受賞作、安達千夏、辻仁成、金原ひとみあたりの性的なくどさの系譜をちゃんと継いでましたね。
そういう意味で、性的に何かあったあとのフラッシュバックの繰り返しはとてもリアルで、かつ読ませるものだったと思います。
けっこうきしょいんだこれが。
にゃんしー
最近、異性愛じゃない愛の形、がトレンドだと思います。同性愛をテーマにした作品が増えてますし、文藝でもシスターフッドが取り上げられたりとか。「コンジュジ」も有り体じゃない愛の形を描いていて、そこが良かったなと私は感じました。
泉由良
「コンジュジ」は面白かったけれど、2作目か3作目で受賞して欲しいな。その頃までちゃんと追い掛けて読むので、応援しています。

次は「小隊」(砂川文次)文學界 9月号。

にゃんしー
個人的には一番よかったかな。文章に重厚感があって、いちばん読むのに時間かかったし、心が離れず、読まされました。テーマは時代性などを勘案すれば受賞はないかなとも思いますが、単純に作品としては、いちばん好きです(主観)。
泉由良
重厚感……あったかなあ……アーミッシュでしたね。アーミッシュな軽いものを書く方が難しいと思うので、そりゃ軍隊を扱えば文も金属めいた重みを持つだろうよという感じです。
むしろアーミーを描くなら国として自衛隊として、不戦の憲法のある国で自衛隊になりそれがロシアと戦っているという重圧が全然無かった。当事者意識とか主体性が無いんですよ。ただ、著者が元自衛官ということで、一般市民を黙らせてくる空気を感じますね。単にそれ、職業なので、別にそういう厚みではない。
私は、え、iPhone使っている演出するくせに戦場にはドローンどころかPCすら無いんだ? と思いましたが、これは秘技・元自衛官の剣で黙らせられてしまいます。コロナ禍において戦争している場合じゃないなとも思いますし、2020年に発表するならそれなりの時代性と向き合って欲しいな/向き合ってゆきたいなと思った1作でした。
にゃんしー
芥川賞は文學界の文藝春秋主宰(正確には日本文学振興会主宰)で、最近文學界からは出てないから、そろそろ取らせたいと思うんですが、勝負作としてこの作品を出してきたのは、勝算はあるんだろうか、とちょっと首を捻ります。いや私はいい作品だと思うし、好きなんですが、いい作品が取るわけではないのが芥川賞だと思うし。
泉由良
「小隊」こそが大衆小説なんじゃないかなと思いました。ミリオタへどうぞ。
以上です。

最後、「旅する練習」(乗代雄介)群像 12月号。

泉由良
これは……巧い……ような? みたいな。でもね、と付け加えてしまうような。5作品中一番最初に読んで、つまり5作読む前提で読み始めたので深く強く掬わなくてはといちばん、謂わば心を込めて読んだのですが、分かるけれど分からない。としか云いようが無い。
ちなみにこの話だけがコロナの話題に抵触していますね。
主人公は叔父で姪を連れて旅をする。旅の情景。自然。想起する文学。溌剌とした姪。奇妙な道連れ。全部巧いんですけど、これが5作のてっぺんかと云うと違う気がします。
特に最初の、旅を始めることになった次第を読んだあたりで、あ、最後こうなるな、って思ったらそのままだったので、面白かったとは云いがたいですね。恩田陸の旅をするミステリで読んだ方が絶対面白い(『まひるの月を追いかけて』)
にゃんしー
芥川賞だと「過去、候補になったことがある」作家がだいたいいらっしゃるんですが、今回は乗代さんと、砂川さんがそれぞれ過去1回候補になっていました。このお二方、やっぱり実力があると思います。この「旅する練習」もクオリティが高くて、読んでて面白かったです。ただその面白さは、大衆小説を読んでいるときに感じる類いのものだったので、芥川賞かといえば、ちょっと違うのかな、と。「旅する練習」は基本構成は大衆小説で、ところどころテクニックで純文学に寄せている、そんな印象でした。筆力は間違いなく高いと思うんですが、筆力勝負する賞ではないと思っています。
最後の部分とかも、ちょっとした「感動」「感傷」みたいなのがあって、この感覚は大衆小説だよな、と(私はゆらさんと違ってオチを読めなかったので、まんまと感動しました)。
泉由良
柳田國男を引用したり、道連れにジーコとサッカーを語らせたり、春から中学生になる児童サッカーをしていてオムライスが大好きな姪がいたり、色んな手札があるわけですよ。それで色んな文体が書けることを知らせてくれる。でも、本命がどれなのか分からない気がしましたね。手札出し過ぎ。
あと、色々書いているわりに、主人公である叔父の作家性や人間性は殆ど無い。このひとだけのっぺら棒みたい。地の文がこのひとなわけですけれど、だから自分のことをくどく書いても気持ち悪いんですけれど、語り手の主体性の無さは気になりました。
にゃんしー
手札勝負でいえば「小隊」もミリタリーネタで押してる感じがしました。それは文体を厚く見せてくれるので、間違いなく効果はあるんですが、そうじゃない作風でも読んでみたいです。でも経歴からいってそういう作風なのだろうし、それも含めて私小説なのだろうなあ。

総評です。

泉由良
主体性の無さで云うと、「推し、燃ゆ」のあかりも、「コンジュジ」のせれなも「小隊」安達も、主体性が無いですよね。
なんだか分からないうちにこういう日本に来てしまいましたねえという丸谷才一(『裏声で歌へ君が代』)を思い出して、こう、無邪気に【なんだか知らないうちに世の中がこうなので私も今こうです】と述べる文学に留まるべきではないのではないかなあと思います、全体的に。
にゃんしー
今回、「推し、燃ゆ」のチキンラーメンの描写が良いとゆらさんが言ったので、読み直してみたら、確かになるほど、と。なんかそういう、言われてみないと気づかない、良質な描写はあるなと思いました。そういうのを見つけるのが読書の喜びだな、と。
5作とも面白かったです。尾崎世界観の選出はやっぱり物議を醸しましたが、読んでみたらとてもよかった。どれが受賞かといわれると難しいですが、それを含めて楽しい回だったというか、選考と選評が楽しみです。誰が誰をどういうふうに推すのか、観る楽しみがあると思います。
泉由良
今回選考会は飲み物のある席で集まって話し合うわけではないんですよね? zoomなのかな。その会議の仕方によっても色んな側面が出てくるので楽しみです。例えばタイピングだったら選考の際に発言したことをどの程度どのように文章化・漢字仮名混じり文にするか、そのとき選考員は喋りながらちょっとGoogle使ったりするのか(そのあたりは今までスマフォを使ったかどうか私は知らないのですが)、お酒は入ってはいけないのか、
色々気になりますね。
また先ほどからと同じく、疫病流行下での自主性のある文学の戦い方について、自分としては発見があったと思います。
にゃんしー
俗にいう「レスバ」ってかんじになって、ちょっと楽しそうです。
泉由良
逆に、気を遣って、zoomなのに
(笑)
って書いちゃう。あ、そうか、チャットじゃなくてトークを録音するわけか。
今私とにゃんしーさんがチャットだったのでタイピングだと思い込んだのですが。
にゃんしー
私は「小隊」「旅する練習」推しですが、推してない作品が取ってほしいです。そうなると、自分が見つけられなかった良さが分かるので。たとえば私は「コンジュジ」の良さをそこまでちゃんと見つけられなかったので、受賞してくれて、読み直したら、新しい読み方が見つかるな、とか。この講評会もそうですけど、新しい読み方を見つけるのはとても楽しい。
泉由良
折角、喋り言葉よりも書いた文章で闘って生きていける世界のひとつのあり方としても文学は答えだとは思うので、コロナ禍・コロナ以降、またインターネットによる越境・ボーダーレス化、翻訳ソフトの実地的使用機能の搭載など、今後文学賞はもっと色んなことが起こると思うし起これば良いなと思います。今現代で「新しい」って云っているひとはほぼ新しくない。twitterとかで「ヤバイ」「エモい」云ってるだけだし、それより『浮雲』〜第二次世界大戦後の文学が新しくて面白い。というような読書初めでした。過去に追いつこう!
にゃんしー
芥川賞はやっぱり純文学の最前線であり時代の最前線であってほしいと思うし、「今ここで起こっているなにか」を見られる、残してくれる場所であってほしいと思います。そういう意味ではゆらさんのおっしゃった「主体性のなさ」というのも、ある意味では「今ここにあるもの」なのかな、という印象を受けました。そして贅沢をいえば、もっとその先にあるものを読んでみたいですね。新しい、という言葉は便利だしよく使われますが、真に新しいものを表現するものではない、という印象を受けました。
今回は、文藝・新潮・すばる・群像・文學界という五大純文学文芸誌のそれぞれから作品が出ている珍しい回で、それぞれの作風とか大事にしているものに触れられる、いい機会でした。芥川賞作品を追うというのは、時代を文学を通して追う感じがして、楽しいですね。
選考会は1/20(水)です。結果および経過を楽しみにしています。
ありがとうございました。
泉由良
結果が出たら、落選した作品こそ色んなひとに読んで欲しいです。どこで受賞と賞外の差があったのか熟考出来るので。
ありがとうございました。

2021/01/18 21"48

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