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秋は

夏が過ぎて、俄に心を突くような明るさがやってきた。
乾いた風が日傘を押し上げて、わたしは高く腕を伸ばしてその柄を握っている。このままメアリーポピンズみたいに空を飛べそうだと思う昼下がり、全てのものは夏よりも軽くなって、地面に落ちる影も淡くなっている。辺りは白く明るい。

胸のあたりまであった髪を、首周りがすかすかとするくらい切った。ずっと髪を束ねていたから、髪の中にまで風が通り抜ける感覚がやけに新しい。

「泣かないでくださいね」
美容師さんは切り始める前にそう言った。けっこういるんですよ、と。
自ら切ってくれとオーダーしておきながら、いざとなると短くなった髪に動揺してしまうのだろうか。そういう私も、もしかしたら泣いてしまうかも、などと思っていた。短い髪が悲しいのではなく、別の理由で。こんなに髪を切るほど、くっきりと区切りのついてしまった事柄について。

けれどもそうはならなかった。
どうですかと美容師さんに尋ねられて、私は答えた。
「なんかほっとしました」
床に髪が散るほどに、なぜかわたしは安堵していた。ああ、と息をつく。これでよかったのだという思いが、ふわりと胸に浮かんだ。泣くどころか、ほくほくとして動く鋏を目で追い、鏡の中の自分を見た。きっと、もう少し早く手離せばよかったのだろう。そうできていたなら、とも思うけれど、できなかった。
自分だけがつらかったのではなく、ほかの人にもしんどい思いをさせた。毛先に溜まった澱が身を離れ、今は遠い景色を眺めるように少し前の自分をみることができる。

やがて10月。朝晩ははっとするほどに静かになった。もう消えることは考えない。次を考える。
困難続きの日々。新しい風が頬を撫でる。
秋は白く明るく、深みを増していく。



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